出版社としての矜持
引き続き叶井専著「実践・キャラクター戦略:イメージアップの商品学」ネタですが、すばる書房盛光社の長谷川社長がピーナツブックス発刊の経緯について語っています。
…先にちょっと整理ですが、一般にピーナツブックスを出していたのが鶴書房もしくはツル・コミック社で、月刊SNOOPYを出していたのが最初は鶴書房でその後盛光社になったりすばる書房になったり時にはすばる書房盛光社だったり、という風になっています。この本ではすばる書房盛光社の社長がピーナツブックスについて語るというねじれが生じていますが、恐らくこれらはグループ会社か何かで人材も入り混じっていたのでしょう。
本題に戻りますが、氏は「劇画ブームの昨今、いずれ内面的なマンガに移るだろう」と判断し、1969年に契約を結んでピーナツブックスの刊行を始めるのですが、その直後アポロ10号が月の周回飛行に成功し、チャーリー・ブラウンとスヌーピーの名前が一気に浸透し始めます。
氏は当時を振り返り「あれ(アポロ10号)以上早くても本は売れなかっただろうし、遅かったら権利を取れなかっただろう」と語り、タイミングに恵まれていたことを強調しています。
この辺りを読みますと、『キャラクターグッズの引き立て役』…ぬいぐるみ等グッズのおこぼれに預かろうというようなさもしい発想ではなく、世界的にヒットしているコミックの翻訳本を出版する=ピーナッツのブームを牽引しているという矜持を感じてしまいました。
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あと、この本の著者は、ピーナッツのブームの端緒はコミックの発刊だった、と明確に書いています(ココ重要です)。
で、ブームはなぜか神戸から始まったんだそうです。ファミリアの本社が神戸にあることとの因果関係はわかりませんが、コミックは神戸を核に関西から売れ始め、その後サンリオの商品も神戸で突如として売れ始め、大都市を中心に伸び、次第に地方都市へ浸透していった、という経緯だったそうです。まあコミックが売れ始めたのが神戸ならば、サンリオ商品が売れるのも読者が多い神戸から、というのは辻褄が合ってますね。
ともかく、キャラクター商品の戦略についての本で、ここまで原作押しをしているのは贔屓ではないでしょうし、恐らく当時はコミックのパワーがそれだけあったと考えてもいいと思います。
仮にこれが真実だとして、コミックが『キャラクターグッズの引き立て役』などと言われてしまうのは、鶴書房倒産後の悲惨な状況もあるのかもしれませんが、この本で書かれているような鶴書房の成功譚が広まっていないからでしょう。ファミリアのの成功譚ばかりが語られ過ぎなんですよね。
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参考までに、キネマ旬報の1993年の号に以下の記述がありました。
『(前略)かの有名なスヌーピーですらグッズのキャラクターとしてしか認めていないお国柄なのだから(後略)』
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