松島トモ子主演映画が4月に公開
3代目サリー・ブラウン声優でもあります松島トモ子主演の映画「松島トモ子 サメ遊戯」が4月に公開されるとのことです。監督はバカ映画の川崎実氏。
令和というのは何が起こるかわかりませんな。絶対にくだらない映画ですが、松島トモ子さんのことは応援してます。
キャリアは長いですがまだ70代、これからも頑張ってほしいものです。
3代目サリー・ブラウン声優でもあります松島トモ子主演の映画「松島トモ子 サメ遊戯」が4月に公開されるとのことです。監督はバカ映画の川崎実氏。
令和というのは何が起こるかわかりませんな。絶対にくだらない映画ですが、松島トモ子さんのことは応援してます。
キャリアは長いですがまだ70代、これからも頑張ってほしいものです。
リー・メンデルソン・フィルム・プロダクションズのYouTubeチャンネルが、3月発売の「チャーリー・ブラウンのイースター」から1曲だけアップしました。3月21日のちょうど1か月前を機に発表したようです。
登録者数が208人に増えましたね。おめでとうございます。先日のミュージアムでの活動が効いたんだと思います。レコード/CDも売れるといいですな。
アップされている曲は、 "Woodstock's Dream" です。
これは、みんなでモールに買い物に行ったシーンでかかる曲です。「クリスマスまであと246日」というセールをやっている店ですな。場面にあったラウンジ風な曲になっています。ギターが入っていますが、手癖の感じからガラルディ本人が弾いていると思います。
因みにこのタイトル、モールのシーンなのに「ウッドストックの夢」とは随分そぐわないな~という感じがしますが、これは後半のウッドストックが巣箱の内装をカッコよくしてしまうシーンにも使われているので、こちらから命名されたんだと思います。
…といいますか、ワタシはこの2曲は別の曲だと思っていました。先に発表されているタイトルリストからすると同じ曲の別ヴァージョンなんですね。う~ん、全長版で聴くと印象が変わるかもしれませんな。
結論から言いますと、これはガセです。
スクリーン誌1986年4月号に、映画「グーニーズ」出演者たちについての解説があるのですが、ここのショーン・アスティンの説明の中に『小学校四年のときからTVに出演、スヌーピーを実写番組で演じたこともあります』という一文がありました。
ピーナッツを実写で放送したという話は聞いたことがありません。しかし、「サタデー・ナイト・ライブ」のような番組にスヌーピーの扮装をして出演するなんてことだったら有り得そうです。
あちこち調べてみたところ、結論は意外に早く導き出せました。
IGNのサイトにショーン・アスティンのインタビューがありました。2003年12月に掲示されていたようですので、恐らく「ロード・オブ・ザ・リング」三部作が終わった後のものと思われます。
これをずっと読んでいきますと、"I was Snoopy in You're a Good Man, Charlie Brown in the 6th or 7th grade at St. Paul the Apostle, in West LA." というのが見つかりました。つまり、セントポール・アポストル校の6年生か7年生の時に「君はいいひと、チャーリー・ブラウン」でスヌーピーを演じた、という事なんですな。恐らくは学校行事かなにかだったんでしょう(子供たちがこのミュージカルをやっている動画はYouTubeにたくさんあります)。
「グーニーズ」当時は14歳で映画デビューしたばかりですから、自分の子役としてのキャリア(というかノンプロとしても舞台経験を積んできたということ)を説明するときに、13~14歳の時にスヌーピーを演ったんだよ、という発言をしてそれが独り歩きしてしまったんでしょう。
ということで解決です。
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話は変わりますが、『ピーナッツの実写化』というとアノ記事が思い出されるのです。
それは、『ピーナッツの実写映画化権を巡ってスティーヴン・スピルバーグとジョン・ヒューズが争っていたが、ジョン・ヒューズが競り勝った』というものです。これは記憶だけで記録が無く、いつか探し当てたいとは思ってますが。
当時(90年代)、ジョン・ヒューズというと「ホーム・アローン」「カーリー・スー」「わんぱくデニス」と子供を主役にした映画を次々にヒットさせていましたので、『次はピーナッツかよ』と思ったことを覚えています。
ピーナッツの実写映画って意外とイケると思うんですよね。ただし、スヌーピーを排するという条件付きですが。スペリング・ビーとESPNに協力してもらって「スヌーピーとチャーリー」を実写でリメイクしたら、結構質の高いキッズ向け映画ができそうな気がするんですがね。「アイ・ラブ・スヌーピー」の時もアメリカでは『スヌーピーのパートは不要だった』という意見が批評家と一般客の双方から出ていましたんで、スヌーピーが出なくても文句は言われないかもしれません。
最近ここで古い事ばかり書いていますが、それはピーナッツの "コミックはキャラクターグッズの引き立て役" 史観を覆すべく古い文献を漁っているためです。その過程で本来の目的とは違う面白いネタが引っ掛かることがあり(先日の大伴昌司など)、そういうのをちょこちょこ書いたりしている次第です。
「スヌーピーとチャーリー」の最初のビデオが松竹から発売されていたのも不思議だったんですが、1985年に松竹とCBS/FOXが提携を始めていたからなんですね。4月からリリースを開始して、7月には「スヌーピーとチャーリー」を発売しています。翌年には「スターウォーズ」も発売していますね(「松竹九十年史」より)。
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そして、なんと四柱推命の本にシュルツさんが登場しているのを見つけました。
「四柱推命現代命譜総覧 1 (食神・傷官・偏財編)」という本で、この本では四柱推命学として実在の人物についての情報を統計的に分析するというようなことが前書きで書いてあります。四柱推命というと統計学的なものだと思ってましたんで、この本はその走りなのかもしれません。わかりませんが。
シュルツさんが俎上に上げられているのは「漫画家」というカテゴリーで、漫画家は、偏財格が強く(16.1%)、食神・傷官・偏財の3つで47%になり、これは躁鬱質者に適性の職業の証明である、と分析されています。ほんまかいな。
流石に和暦に変換はしていないですが、シュルツさんは『傷官生財格といえばいえるが、そうした格のとり方では、もうこの異色な感性の人々は語りえない』とのことです。
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試しに無料の四柱推命サイトでシュルツさんのデータを入力してみましたが、中々当たっているような。まあ占いというのはそういうものですが。以下、気になるキーワードを並べてみますと、
「粘り強く努力を継続できるマジメな正直者」「褒められても必要以上に舞い上がらず、地に足を付けて基礎からじっくりと積み上げ」「一度成功すると揺らぎにくい」「礼儀正しく常識的な行動をする」「マナーが良く、ルールをよく守り、他人には親切」「金運も名誉運もあります。 若い頃から頭角をあらわし、年を経るごとに安定感を増し」「ブレることなく自分の道をきわめて」「何らかの専門職に適性があるタイプ」
なるほどな~という感じです。
開運のカギとして挙げられているのは、
・何事も自分でやってみる
・自分の進むべき道を見つける
・地に足をつけて頑張る
・ひとつの道に専念する
・他人に親切にする
・パートナーに感謝する
これらは偶然にも実践されてたんではないでしょうか。
棚を整理していたら、キネマ旬報の1972年9月下旬号が2冊出てきました。間違えて買っていたようですが、今まで気が付きませんでした。
この号では、「スヌーピーとチャーリー」が公開直前ということで結構紙面を割いて特集を組んでいます。
まず、口絵の方で1972年当時のピーナッツの状況を説明していますが、これによりますと『世界中で千もの新聞に連載』『読者は九千万人』『単行本は三千万部』『シャツやカードは年間三千万ドル』という大産業に発達していると書かれています。
日本での状況については、『早くから輸入され、一部で熱狂的な支持を生み、単行本の数も、現在では百万部を超えるに至った』と書かれています。これが本当でしたら結構なことですよ。ピーナツブックスは1969年刊行ですから3年間で100万部突破ということになります。
しかし別項では黒井和夫(和男?)氏が、まあまあの否定的な意見を書いています。曰く『アメリカでは絶対の人気の漫画だが、日本ではまだまだ浸透度は少ない。一部に熱狂的なファンがいることも確かだが、このヘんから拡がりを求めて、どの程度まで興行に結びつくか興味深いところだ。
スバル座という小劇場でのロードショウなので、それなりの成績となろうが、そんなにロングにはなりっこない。それよりもアニメーション・ブームのきっかけとなるくらいのオヤッと思わせるだけの出足の良さを期待したい。むしろその方が狙いだといえないだろうか』とのことです。
後半の『アニメーション・ブーム』というのは、この後に控えている「シャーロットの贈り物」や「フリッツ・ザ・キャット」などのことを指していると思われますが、ともかく厳しい。ピーナツブックスの100万部は意に介していない様子です。
ところがフタを開けてみればスバル座の新記録となる大ヒットで、1976年のリバイバルでは更に記録を更新します。一部の熱狂的なファンと、ぬいぐるみなどを愛好していたファンの存在を侮っていたということになりますかね。そういえば、口絵もこの黒井氏も、ぬいぐるみのヒットについては触れていませんが、男性ライター故か眼中になかったのか、それともコミック・ファンのパワーがそれだけ強かったのか、でしょうな。
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で、口絵で書かれていた『単行本は三千万部』というヤツですが、別の書籍にそれを裏付けるような記述があります。
「定本庄司浅水著作集第5巻」所収の『ベストセラーズ』という章で、『最近頭角をあらわしてきているノンフィクション作家』ということでシュルツさんに触れています。
これによりますと、『「スヌーピーがやってくる」が390万部、「善きオリバー、スヌーピー」が365万部、「スヌーピー、あなたのために」が320万部、その他ペーパーバックでないものも含めて18点(1973年刊行のみ)の総部数が5197万部(平均288万部)であり、2年間の記録と考えると驚くほかない』とあります。
それぞれ執筆された年から考えますと、1971年度で約3000万部だった売り上げが、1975年には5197万部まで増えているということになります。
さすがに日本の100万部なんていうのは目じゃないですな。
それはそれとして、アメリカで刊行されているペーパーバックなのにタイトルが日本語になっているところが気になりますが、昔は海外の書籍や映画などを論文に書くときに、ローマ字表記でもカタカナ表記でもなく、このように和訳することが往々にしてあったようです。
「スヌーピーがやってくる」は "Here Comes, Snoopy"、「善きオリバー、スヌーピー」は "Good ol' Snoopy"、「スヌーピー、あなたのために」は恐らく "Your Choice, Snoopy" だと思います。
大伴昌司といいますと、我々世代は「怪獣画報」という本に大変お世話になっています。同書は「ウルトラマン」等の怪獣にリアリティを持たせることに貢献し、当時の子供たちから絶大な支持を得ていました。現天皇陛下が読んでいたことは有名です。
また氏はSF作家クラブの事務局長をするなど日本のSF界への貢献も大きく、著作・研究書のいくつかは現在でも一定の評価を得ているものがあります。
とはいえ、『ゼットンの吐く火の玉は1兆度』などといいかげんなことを書いたり、情報が先走り過ぎて内容に間違いがあったりと、問題もあったりはします。まあ前者については、故に子供は「すげえ」と感心しましたし、後者については『宇宙人ゾーフィ』という誤りを庵野秀明が「シン・ウルトラマン」で公式にしてしまった例もあり、良かれ悪しかれ、という感じですかね。
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そんな大伴昌司ですが、SFマガジン誌1970年10月号の連載コラム「トータル・スコープ」で、ピーナッツについて中々に先走った事を書いています。内容は、映画 "A Boy-Named Charley Brown"(綴りの通り掲載)についてなんですが、そもそもが何でSF雑誌で?ですよね。
氏によると、同映画の内容は『エキセントリックな現代っ子チャーリー・ブラウン坊やとバカ犬スヌーピーがオンボロのロケットに乗って月へ行き奇想天外な月探検をしてくる物語(中略)ディズニーとちがって残酷で反道徳的なブラウン坊やの登場は大きな反響を巻き起こすだろう』というものらしいです。
このコラムが書かれたのはアメリカでの劇場公開の翌年で、日本公開の2年前ではありますが。う~ん…、この人は一体何を観てきたのでしょうか…って観てませんよね、絶対に。書くにあたっては元ネタがあったはずですが、ワタシにはピーナッツとアポロ10号とフリッツ・ザ・キャットが頭の中でごっちゃになったように思えますな。
大伴昌司は「スヌーピーとチャーリー」公開の翌年(1973年)に36歳の若さで夭逝されていますが、果たして劇場に足を運んだのでしょうか。また、これを読んで映画に興味を持ったSFファンがいたとしたら、それはそれでお気の毒です。
俳優の下條アトム氏が逝去されました。ご冥福をお祈りいたします。
個人的に思い入れのある役は、NHKの「新・坊ちゃん」の野だいこです。普段はイヤな奴なんですが、ロンドンに行きそびれた回はちょっとかわいそうでした(うらなりを貶めたので自業自得というか、でもどっちへ転んでも難しかったか)。しかし、ウィキペディアの下條アトムのページの出演作一覧には何故か「新・坊ちゃん」がありません。ゲスト出演の多かった70年代において数少ないレギュラー出演だったのに…。
あと、声優としては何といっても「48時間」のエディ・マーフィーですかね。公開当時この映画は仲間内で大絶賛だったので、テレビ放送は勿論観ました。正直個人的には何でエディ・マーフィーが下條アトムなの?と思いましたが今日では評判がいいみたいですね。
「今夜は最高!」で鉄腕アトムの扮装(顔も塗りたくって)をして「アトムです!」と叫んでいたのは爆笑しました。確かにアトムでした。
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で、チャーリー・ブラウンなんですが、2003年12月29日のNHK-BSの"冬休みBSアニメ特選"枠で「スヌーピーとチャーリー・ブラウン ヨーロッパの旅」の下條=チャーリーの吹き替え版が突然放送され、ワタシは大層驚きました。
というのも、1993年にビデオが発売された「チャーリー・ブラウン なぜなんだい?」以降、ピーナッツの吹き替えは子役によるものが主流になっていたからです。
確かに劇場版アニメについては子役による再吹き替えは行われず、2000年以降もカートゥーン・ネットワークなどでは大人の吹き替え版が放送されていました。しかし、だからといって2003年に新規の大人の吹き替え版をわざわざ作るでしょうか?
下條アトム氏が悪いと言っているわけではありませんので誤解なきよう。
推測ですが、NHKが「スヌーピーとチャーリー・ブラウン ヨーロッパの旅」を放送したいと思ったものの、権利がカートゥーン・ネットワークに移ってしまっていたので新規に吹き替えを録音した、配役については劇場版アニメは大人が吹き替えているという慣例(?)に従い、今回も大人で行った…といったようなところではないでしょうか。
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ところで、ワタシは下條アトム氏が使用していたと思しき脚本を持っています。
表紙に記名があります。
これが正真正銘の下條アトム氏のサインなのか、落書きっぽく適当に書いただけなのかはわかりません。
チャーリー・ブラウンのセリフのところにマークがしてありますので、ご本人のもので間違いないと思います。大事にしてます。
リー・メンデルソン・フィルム・プロダクションズの公式YouTubeチャンネル(登録者数は相変わらず193名!信じられない…)が、シュルツ・ミュージアムでの「チャーリー・ブラウンのヴァレンタイン」イベントの1分ちょっとの動画をアップしました。
アメリカ時間2月8日、リー・メンデルソン・フィルム・プロダクションズはチャールズ・M・シュルツ・ミュージアムにて、ピーナッツTVスペシャル「チャーリー・ブラウンのヴァレンタイン」放送50周年を祝い、会員限定のイベントを行った模様です。
当然、物販もするわけですが、「チャーリー・ブラウンのバレンタイン」のレコードとCD、右側には「選挙に勝とう、チャーリー・ブラウン」のレコードもあります。サウンドバーガーのようなレコードプレイヤーで実演しているのもイイですね。切れていますが、左側には「チャーリー・ブラウンのバレンタイン」のDVDが平積みされています。
リッチ・トロット(ピーナッツの曲ばかりを演奏しているYouTubeチャンネルをやっていますが登録者数561名)率いるピアノ・トリオ "Playing For Peanuts" がずっとガラルディのピーナッツ・ナンバーを演奏していたらしいです。い~な~。日本でもこういうのがあれば…。
プロダクションのプロデューサー、ショーン&ジェイソン・メンデルソンらによる、ピーナッツのTVスペシャルとその音楽についてのプレゼンテーションと質疑応答も行なわれた模様です。このようにちゃんとピーナッツを語れる方が登壇してファンたちと意見交換するなんて本当に素晴らしいことです。
その後、ショーン&ジェイソン・メンデルソンとデリック・バング氏の3人でサイン会を行ったようです。この人たちのサインとか欲しい?という人もいるかもしれませんが、ワタシは欲しいですね。特にデリック・バング氏はピーナッツとヴィンス・ガラルディの研究家としての最高峰の人ですからね。
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もっと全貌が判る長い動画が観てみたいですが、公式でなくてもいいので誰かアップしてくれませんかね。
因みに開催からもう2日経過していますが、ミュージアムの公式サイト、デリックバング氏のブログ、リッチ・トロットのYouTubeチャンネルとフェイスブックでは今のところ何の情報もなしです。
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リー・メンデルソン・フィルム・プロダクションズのYouTubeチャンネルの登録者数が少ないのはともかく、TVスペシャルとヴィンス・ガラルディがちゃんと根付いていて評価されているというのはとても素晴らしく羨ましいことでもあります。
以下蛇足です。
プレゼンテーションに使っていた部屋ですけど、ああいう演台のあるスペースがあるのっていいですね。何故ならピーナッツについて語るというのが前提としてあるわけですから。日本のミュージアムには無さそうな気がします。まあそもそも、谷川さんとか広淵升彦先生とかが没故されてしまった今、日本にピーナッツを語れる人はもういないのかもしれません。最後の砦は小野耕世さんか…。
スタン・ゲッツの1979年のアルバム「チルドレン・オブ・ザ・ワールド」を久々に聴き返してみたりしました。
これですね。ジャケはシュルツさんの描きおろしです。30cm×30cmサイズ目いっぱいに描かれたこのイラストですから、ジャズファンでなくとも欲しがる方も多かったんじゃないでしょうかね。
1979年はユネスコによって制定された『国際児童年』でした。このゲッツのアルバムはそのタイアップ企画になるもので、シュルツさんも快く引き受けたんだと思います。タイアップはこの他にもビージーズの「失われた愛の世界」とか、ゴダイゴの「ビューティフルネーム」とか色々ありましたね。
で、このジャケのスヌーピー、何故サックスを吹いているのかといいますと、ゲッツがサックス・プレイヤーだからです。そういえば、彼は70年代末頃に犬を飼っていたんですが、名前がスヌーピーといったんですよね。
このアルバムは1曲を除いてラロ・シフリン(最も有名な曲は「燃えよドラゴン」でしょうか)が作・編曲をしています。シフリンの曲はメロディアスですし、ゲッツのプレイもとてもイイです。昔はイージーリスニングっぽいと思っていましたが、改めて聴くとスムース・ジャズの走りのような曲もありますね。ともかく聴きやすいアルバムです。
ワタシが持っているレコードは輸入盤なんですが、国内盤は村上春樹がライナーを書いているらしく、ちょっと読んでみたいです。国内盤CDは持っていますが、別の人のライナーに差し替えられていました。契約の問題ですかね。
広告もありました。
『やったぜゲッツ!スヌーピーも真っ青!!』とのこと。
ワタシがもっと裕福だったら…せめてもっと小遣いがあったら…と思う今日この頃です。
リー・メンデルソン・フィルム・プロダクションズが、過去のピーナッツのTVスペシャルの音源をどんどん円盤化しているのは嬉しい限りなんですが、コレクター向けのエディションがあまりにも多くて悶絶してしまいます。そしてそれらには一切手が付けられていないのです。
毎年のように再発される「チャーリー・ブラウンのクリスマス」のレコードもそうです。金ジャケだったり銀ジャケだったり、盤も赤だったり青だったり緑だったりピクチャーレコードだったり…きりが無いですな。金ジャケだけは買いましたが。こういったこともあってか、このレコードは毎年チャートの上位に上がります。昨年末のビルボード200では最高11位まで上がりました。これはジャズ・チャートではなく総合チャートですからね。すごいですよ。
「チャーリー・ブラウンとカボチャ大王」のレコードでは盤がオレンジのパンプキン型になっているのが発売されました。
「チャーリー・ブラウンの感謝祭」レコードは、ターキー色、紫、ピクチャーレコードが発売されました。
1月に発売になった「チャーリー・ブラウンのヴァレンタイン」は、盤がピンク色になっているレコードが発売されています。
そして今度の3月に発売になる「チャーリー・ブラウンのイースター」では、普通の黒の他に紫色のレコードも限定発売されるのですが、4月12日のレコード・ストア・デイ(アメリカ)用に『ジャケ違い・変形レコード』が発売になるのです。
たまご型の変形レコードで、色は開封しないとわからないとのこと。射幸心をあおりますね。あと、ジャケは通常盤よりのこっちの方が断然好みだな~。ほしいな~。でも結局配信とCDに落ち着くんですよね。
リー・メンデルソン・フィルム・プロダクションズのサイトでは、3曲のサワリが試聴できます。
以上、これら紹介したレコードは大体4~5000円くらいします。昔のワタシでしたら全買いしてたでしょうな…。
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レコード・ネタはもう一つありまして、ヴィンス・ガラルディの "Jazz Impressions of A Boy Named Charlie Brown" の、これまたレコード・ストア・デイ限定版が出るのですが、これがまたすごいのです。
ジャケは上の通りオリジナル盤と同じなんですが、中身が全部別テイクという全くの別物になっているんです。
ガラルディの別テイクものといいますと、「チャーリー・ブラウンのクリスマス」のレコーディング全セッションを収録した5枚組CDが発売されていますが、このアルバムについては同様のものは今までありませんでした。しかも今のところ発売が決まっているのはこのレコード・ストア・デイ限定のレコードのみで、CDや配信については予定が無いのです。更に3400枚限定とな。
これはどうすればいいんでしょう。続報を待つべきか、思い切って買うべきか。悩ましいですな…。
"Good Grief" =「ヤレヤレ」の翻訳をしたのが谷川俊太郎さんではなく徳重あけみさんだったということは一部では有名です。最初に公になったのは1972年の「散文」という本で、この中で谷川さん自らが書いておられたんですが、晩年になっても自分の手柄ではないというスタンスを崩していなかったのは素晴らしかったと思います。
まぁそう声高に言っていたわけでもないですが、この訳を谷川さんの功績として称える声もありますので、徳重さんの名誉のためにももっと主張しても良かったかもしれませんが。そのような誤解が生じたのは、初期のピーナツブックスにおける『谷川俊太郎・徳重あけみ 共訳』という曖昧なクレジットと、角川に移ってから全て『谷川俊太郎 訳』にクレジットが統一されたことによると思います。
初期ピーナツブックスの共訳者は、徳重あけみさんの他にもう一人新口孝雄さんという方もおられました。また1979年度の月刊SNOOPYでは堀内克明さんが共訳者となっていました。角川書店がこの辺りのクレジットをどう整理したのかは気になりますね。もちろん勝手にはしていないでしょう。権利を放棄してもらったのか。ひょっとして谷川さん以外の部分の訳を全て翻訳し直したという可能性もありますが、角川版は読んでいないのでわかりません。過去の「シュレーダー」が全て「シュローダー」に直されていたのは当時立ち読みで確認しましたが…。
谷川さんは「散文」の中で、 "Good Grief" は年代ははっきりしないが1930年代の流行語だ、とアメリカの友人に聞いたと書いています。植草甚一さんも「ぼくのニューヨーク案内」で1930年代のアメリカの流行語だと書いていますね。恐らくその通りなのでしょう。シュルツさんは少年時代に流行っていたこのフレーズを使って、何か独特なニュアンスを表現したいと思っていたんでしょうな。日本人には解らないニュアンスなのかもしれませんが、日系二世である徳重あゆみさんは色々考察した上で「ヤレヤレ」に辿り着いたんでしょうし、この言葉の持つリズムとか雰囲気とかをありのままに受け入れるしかないんでしょう。
「ヤレヤレ」というともう一人、村上春樹さんがいますね。厳密にはあちらは「やれやれ」と平仮名ですが。村上春樹さんの著作は外国語に翻訳されていますが、この「やれやれ」は英語では、"Just great", "Oh,brother", "Damn", "Oh,no", "Oh,man"などと訳されているるようです。"Good Grief" と訳されていないのは当然ですが、これらの訳語は何だか普通で味気ない感じですね。
この図柄、スヌーピーとサリーが楽しく海賊ごっこをしているのではありません。この2つのカットは合成で、スヌーピーは正に海賊ごっこをしていますが、サリーは怠け目治療中のために眼帯をしているだけなのです。しかも彼女は作中で眼帯のために海賊とからかわれたりしており、これは病人を冒涜する不謹慎極まりないグッズなのです。
ジーンさん、貴方もこのエピソードが怠け目のために偏見に苦しむ全米の子供たちの心の支えになったことはご存じでしょう。ダメですよ、こんなグッズを販売許可しては。可愛ければいいというものではないんです。
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それはそれとしてこの「怠け目」ですが、英語では "Lasy Eye" 、日本語では「怠惰な目」「弱視」と表記するのが一般的で、はじめは「怠け目」という表現は使っていなかったようです。
1974年の「眼科臨床医報」という本刊行物に『谷川俊太郎訳「スヌーピー」における LasyEye の訳語「怠け目」の効用について』という広瀬泉医師による興味深い一文が掲載されていました。
これによりますと、一言「弱視」といっても「機能弱視」と「機質弱視」の2つの概念があり、父兄や養護学校等で感じる「弱視」とは「盲」の手前の「機質弱視」であり、自分たちの主としている「怠惰な目」とは違うということで悩んでいたところ、月刊SNOOPY(1974年2月号)において谷川氏が「怠け目」と訳しているのを知り、以来「機能弱視」の説明にこの言葉を使用することで少なからぬ恩恵を受けている、とのこと。
ということは、谷川さんは "Lasy Eye" という言葉にぶち当たった時に、翻訳語を調べずに自分で言葉を作ってしまったという事なんでしょうか?
しかも、現在それが実際に現場で使われているという(実際には医療現場では使われていないかもしれません)…今でも「怠惰な目」「弱視」という言葉が使われていますが、「怠け目」も検索すると引っ掛かりますから使われているんでしょう(憶測を出ません。また、専門用語になったわけではありません)。
これは、"security blanket" が医学用語になってしまったことには及ばないかもしれませんが、結構すごいことなのではないでしょうか。
淀川長治さんの「映画・映画・映画」という本のなかで「スヌーピーとチャーリー」について触れられています(ちなみにこの本は雑誌「スクリーン」などに書いたものを集めたものです)。
「スヌーピーとチャーリー」を見て、これを子供の漫画(動画)と思って馬鹿にする人は貧しい感覚の人である。
この一行を淀長さんが書いたという事実それだけで、もう天にも昇る気分です。ありがとうございます。
スヌーピーは、憎たらしいが我らの親友だ。チャーリーは表向きは小学生だが、見方によっては都会のサラリーマンだ。やるせないサラリーマンだ。女はみんなチャッカリしていて腹が立つばっかり。けれども、女は最終的には”母親”に似たゆたかな愛情の持ち主だ。
チャーリー・ブラウンをサラリーマンに例えるのはさすが解っていらっしゃいます。愛情というのはラストのルーシーのセリフから来ているんですかね。でも、ラストのライナスとルーシーのヴァン・ペルト姉弟は本当にイイです。あの2人の行動とセリフがこの映画を名作たらしめていますよね。
B級パニック映画でも、センサラウンド方式みたいなコケ脅しでもちゃんと正当に評価する淀長さんですから、リミテッドアニメだからといって低く見るなんてことはしないだろうとは思いますが、ともかく素晴らしい評価です。「スヌーピーとチャーリー」は確か荻昌弘さんも評価していたと思います。評論家受けは良かったんですな。
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淀川長治さんといえば日曜洋画劇場ですが、あの番組のエンディングテーマを聴くと「ああ、日曜日が終わるんだ」と絶望的な気分になったものです。
はっきり言って、サザエさん症候群なんて甘いです。7時だったらまだ色々できるじゃないですか。日曜洋画劇場が終わるともう11時なんですよ。もう本当に後が無いのです。しかもそこでかかる曲がそんな絶望感を更にあおる選曲で、心底どん底な気分になったものです。あれは誰が選曲したんでしょう。コメディ映画を観ていても全部吹っ飛んでしまいます。
とはいえあれも懐かしい思い出です。最近はああいう映画解説者の出てくる番組って無いですから寂しいですが、BS10で舘ひろしとかが映画の前後で無茶苦茶しゃべる番組が始まりまして、ただ流すよりも工夫があっていいと思います。
2018年は『ピーナッツ日本上陸50周年』として盛り上がり(?)もとい、盛り上げようとしていましたが、果たして何が上陸したのかは定かになっていません。
ウィキペディアによりますと1968年に「女性セブン」がサンデー版を掲載していたようですが、確証はありません(同サイトではピーナツブックス刊行が1967年となっており信憑性がありません)。
産経新聞の50周年関連記事よりますと、『日本で初めてピーナッツのキャラクター商品が作られたのは昭和43年』とあるんですが、それが何なのかは判りません。ピーナツブックスは1969年、ぬいぐるみは1970年の発売で、鶴書房とファミリア以前に権利を取得した日本企業はないはずですので、有りうるとすればホールマークがグリーティングカードもしくはそれに類するステーショナリー的なものを販売したということになると思います。
調べてみますと、とりあえず1965年には既に日本に代理店を設置してデパートなどでカードを売っていた模様。当時の日本は労働力が安く(1ドル360円の固定相場 )輸出が盛んでホールマークのカードも明治44年設立の図書印刷株式会社が下請けで印刷を請け負っていたようです(「国勢総覧」による)。
1968年(もっと前からでしょうが)には既にクリスマスシーズンにクリスマスカードが店頭に並ぶようになっており、そういったカードの中にピーナッツの図柄のものが含まれていた可能性はあります。
それをして『ピーナッツ日本上陸50周年』と言っているのかもしれませんが、これも確証はありません。『これが日本初のピーナッツのキャラクター商品だ!』みたいに画像の公開でもあればスッキリしたんですがね。
いずれは60周年が来ますので、その時までにはもう少し明確にしておいていただきたいものですが。
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実はピーナッツが初めて日本に上陸したのは1968年ではありません。輸入品が持ち込まれていたとか紛らわしいことは抜きにして、最初に翻訳された本が出版されたのは1966年になります。
日本基督教団出版部から出版されたロバート・ショート著の「ピーナッツ福音書」です。日本人の手によって翻訳された純然たる最初の日本産のピーナッツ商品と言えるでしょう。
キリスト教徒ではない植草甚一氏も所有していることを書いていましたが、それが原書でなければ一般書店でも販売されていたということになります。 どれだけの部数が出たのかは判明しませんが、ワタシの手元にも届くくらいですからそれなりに売れていたのでしょう。
いずれにせよ公式は詰めが甘かったということになります。
"Race For Your Life, Charlie Brown" =「がんばれ!スヌーピー」の邦題は、当初は「バカウケ!スヌーピー」だった??という貴重な資料です。
これは、キネマ旬報1976年6月上旬号に載っていた記事です。CICが1977年度に配給する予定の一覧の一部で、まだ公開より1年以上前になりますが、恐ろしい計画が進んでいたんですなあ…。
この「バカウケ」というフレーズは、萩本欽一の所謂「欽ドン」で広まった言葉だと思います。当初はラジオ番組で1975年からテレビ版が放送開始となり一気に普及したという認識ですが、1976年の段階で特に旬な言葉というわけでもなかったんですがね。実現していたらヤヤウケ以下の反応だったでしょう。
何故こんなアホな邦題を付けようとしたかの推測ですけど、「スヌーピーとチャーリー」「スヌーピーの大冒険」まではCCF制作・東宝東和配給だったのが、この「がんばれ!スヌーピー」からはパラマウント制作・CIC配給となったことにより、日本側スタッフが変わってしまったことによるのかもしれません。
東和のスタッフはピーナッツの持つ『ほろ苦い味わい』というものを一定理解していて相応の宣伝をしていましたが、CICのスタッフは理解度が足りていなかったんでしょう、恐らく。
左斜め上に同じCIC配給の「がんばれベアーズ」がありますが、こちらはこちらで当初は「バッド・ニュース・ベアーズ」という原題をカタカナにしただけのタイトルで宣伝されていたんですよね。"Race For Your Life, Charlie Brown" が「がんばれ!スヌーピー」になったのは、こちらにあやかったのではないかと思います。
関係ないですが、右隣の「ビッグ・バス」は最終的に「弾丸特急ジェット・バス」になりました。くだらなくて大好きな映画の一つです。
・・・・・・
以下ちょっとマジな話です。
ワタシはこの映画「がんばれ!スヌーピー」があまり好きではないんですが、信頼している小野耕世は結構褒めていたんですよね。しかもワタシが不快に思うシーンを面白いと評価しているので正直悩んでしまいました。
主に不快に思うところは、ペパミント・パティの歪んだ民主主義の主張と、ワルたちが不正ばかりしているのに全く罰せられないことの2点なんですが、氏は前者については『性格が生かされていて笑える』と評し、後者は「ベンハー」の戦車競走をはじめあらゆるレースものに見られるもので反則をされてもそれで負ければ負けであり、反則に怒ってもどうにもならないということが貫かれている、と達観した意見を言っていたんですよね。特に後者は子供だったワタシには理解するのは難しかった…。
まあ確かに「チキチキマシン猛レース」で散々観てきたシチュエーションではありますが、あちらは連敗してますからね。「がんばれ!スヌーピー」でも最後にワルたちは破れますが、相打ちみたいなオチでカタルシスは無かったですしスッキリもしませんでした。結局足を引っ張ったのはペパミント・パティでしたしね。今でも評価はあまり変わっていませんが、そんなワタシは世間知らずなんでしょうかね…。
ピーナッツの "コミックはキャラクターグッズの引き立て役" 史観ネタの連投になりますが、改めて2019年のスヌーピーミュージアム展で書かれていた怪文書を引用しておきます。
スヌーピーが日本にデビューしたのは1960年代終わりのことで、主役はキャラクター商品でした。コミックもいくつかの媒体で出版されましたが、こちらはあくまで脇役で、バッグや文房具、ぬいぐるみなど、スヌーピーの顔をあしらった小物の引き立て役にとどまります
読み返してみても非常にムカムカしてきますな。何とかひっくり返したいです。
それはそれとして、その主役であろうぬいぐるみについて書きます。
一般に、日本でのスヌーピーのブームはファミリアのぬいぐるみから始まったと言われています。NHKの朝ドラにもなりました。1970年、ぬいぐるみ発売にあたりスヌーピーが全くの無名だったことから社内では月に30個くらいしか売れないだろうという声が圧倒的でしたが、社長の奥さん(実は創業者)の強い主張もあり月産500個半年で3000個を発注、結果は読みが見事に当たり、ファミリアすげえという美談になりました。
しかしこの成功譚には『無名のスヌーピーが何故売れたのか』という肝心の部分が欠落しています。そこを伏せて全てファミリアの手柄にするのはちょっとどうなんでしょうか?
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1983年に出版された「日本ライセンシング年鑑」という本の中にちょっとヒントがあります。
この本によりますと、昭和40年頃から女子学生のアメリカ留学が盛んになったとあります。何故「女子学生」なのか?というのはとりあえず置いておきますが、ファミリア創業者の息女も昭和38年に留学していますね。で、この息女は留学中にピーナッツに夢中になり帰国時にピーナッツのペーパーバックなどを持ち帰ったとされていますが、同書でもスヌーピーのぬいぐるみを抱いて帰国する女子留学生の姿を見かけるようになったと記されています。
留学した女子学生の多くがピーナッツ好きになって帰ってきたわけですね。因みに、NHKの谷啓版ピーナッツ・アニメでサリー・ブラウンを演じていた松島トモ子も昭和39年に留学していますので、彼女もこの頃既にピーナッツには触れていたんでしょうな。閑話休題。
日本の海外観光旅行の自由化は昭和39年です。アメリカへ旅行するということが現実的になってきたということで戦後生まれのティーンエイジャーたちのアメリカへの憧れはこれにより一段と強くなり、同時にスヌーピーは、彼女らのステータスシンボルになっていったといいます。
日本にはまだ「ピーナッツ」は紹介されていませんでしたので、ピーナッツというのはアメリカへ行った人か、アメリカの雑誌を読む人しか知らない存在で、当人たちは勿論、感化された女子高生や女子大生にとって、スヌーピーはアメリカへの憧れを象徴するような存在になったというんですな。
このようなファンがぬいぐるみを買っていたとすると、小野耕世の著書にあった『おそらく、いま、「ピーナッツ」くらい、女の子に人気のあるマンガはないだろう。「まあ、かわいい」といいながら、スヌーピーの人形をかかえて、女の子はピーナッツ・ブックを読む。』という記述とも一定符合していると思いますし、結局はコミックを読んでいた人たちによって下支えされていたということなんじゃないでしょうかね。
これが真実と仮定するならば、恣意的でないにせよなぜ売れたのかという部分を明確にせず、また、外野であるアメリカ人等がコミックを脇役だ引き立て役だと主張するのは問題があるということになると思います。
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ついでですが、ファミリアのウィキペディアには、
1964年(昭和39年)4月 - 日本で初めて「スヌーピー」の商品化権を取得し、Tシャツ、ジーンズ、トレーナー、ズボン、スカート等の衣料品と、ぬいぐるみを製造してキャラクターマーチャンダイジングに於ける先鞭を付ける。
とありますが、これは多分間違いですね。1964年の段階では留学から帰国した息女がプライベートでクッションやテーブルクロスにスヌーピーの刺繍などをしていただけであり、実際にぬいぐるみなどを販売するのは1970年になってからです。
また、書籍を商品とすれば1969年に出版権を獲得していた鶴書房の方が先であり、ファミリアが「日本で初めて」ということでもありません。
引き続き叶井専著「実践・キャラクター戦略:イメージアップの商品学」ネタですが、すばる書房盛光社の長谷川社長がピーナツブックス発刊の経緯について語っています。
…先にちょっと整理ですが、一般にピーナツブックスを出していたのが鶴書房もしくはツル・コミック社で、月刊SNOOPYを出していたのが最初は鶴書房でその後盛光社になったりすばる書房になったり時にはすばる書房盛光社だったり、という風になっています。この本ではすばる書房盛光社の社長がピーナツブックスについて語るというねじれが生じていますが、恐らくこれらはグループ会社か何かで人材も入り混じっていたのでしょう。
本題に戻りますが、氏は「劇画ブームの昨今、いずれ内面的なマンガに移るだろう」と判断し、1969年に契約を結んでピーナツブックスの刊行を始めるのですが、その直後アポロ10号が月の周回飛行に成功し、チャーリー・ブラウンとスヌーピーの名前が一気に浸透し始めます。
氏は当時を振り返り「あれ(アポロ10号)以上早くても本は売れなかっただろうし、遅かったら権利を取れなかっただろう」と語り、タイミングに恵まれていたことを強調しています。
この辺りを読みますと、『キャラクターグッズの引き立て役』…ぬいぐるみ等グッズのおこぼれに預かろうというようなさもしい発想ではなく、世界的にヒットしているコミックの翻訳本を出版する=ピーナッツのブームを牽引しているという矜持を感じてしまいました。
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あと、この本の著者は、ピーナッツのブームの端緒はコミックの発刊だった、と明確に書いています(ココ重要です)。
で、ブームはなぜか神戸から始まったんだそうです。ファミリアの本社が神戸にあることとの因果関係はわかりませんが、コミックは神戸を核に関西から売れ始め、その後サンリオの商品も神戸で突如として売れ始め、大都市を中心に伸び、次第に地方都市へ浸透していった、という経緯だったそうです。まあコミックが売れ始めたのが神戸ならば、サンリオ商品が売れるのも読者が多い神戸から、というのは辻褄が合ってますね。
ともかく、キャラクター商品の戦略についての本で、ここまで原作押しをしているのは贔屓ではないでしょうし、恐らく当時はコミックのパワーがそれだけあったと考えてもいいと思います。
仮にこれが真実だとして、コミックが『キャラクターグッズの引き立て役』などと言われてしまうのは、鶴書房倒産後の悲惨な状況もあるのかもしれませんが、この本で書かれているような鶴書房の成功譚が広まっていないからでしょう。ファミリアのの成功譚ばかりが語られ過ぎなんですよね。
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参考までに、キネマ旬報の1993年の号に以下の記述がありました。
『(前略)かの有名なスヌーピーですらグッズのキャラクターとしてしか認めていないお国柄なのだから(後略)』
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