70年代におけるピーナッツのインパクト
昨日の続きになりますが、文献を漁れば漁るほど、70年代の経済界に与えたピーナッツのインパクトが大きかったと思わざるを得ません。経済関連の本を読むとどんどん出てきますからね。昨日のブログで上げたような版権経路図なんて普通は書かれませんよね。
昨日引用した本をもう少し深彫りしますが、先にオチを書いてしまうと、それまでの日本のキャラクタービジネス界隈では当たり前とされていた『キャラもの=安物』、『太く短く売る』というものを覆してこそ、息が長く成長し続けることができたんではないかと思います。
まず、当時のU.F.S.の基本というのが「安物を作るな」だったそうで、これはシュルツさんとU.F.S.ががっちり手を組んで管理を徹底させいたということで、その裏には著作者の権利尊重についての強い理念があることを感じられます。
「安物を作るな」の他に、「バーゲンをするな」「景品に使うな」を加えた3項目が契約上最も重要なものだったと。バーゲンをしないためには綿密な在庫管理が必要となります。景品に使うとなると安物感を助長することになります。いずれも守れれば連載中であるコミックの質をグッズが毀損することにはならないわけです。
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このくだりを読んで思ったのが森永のことです。1975年の後半から森永が参入しましたが、月刊SNOOPYの記事によれば数年越しの交渉ののち契約にこぎつけられたということでした。これはワタシの推測ですが、サンリオやファミリアが出しているピーナッツ・キャラが主体になるグッズとは違い、お菓子の場合は包装紙だったりとキャラがオマケ的に扱われることが懸念されて難航したのではないでしょうか?…推測ですが…。
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新商品の許諾がまた大変だったようで、ファミリアはU.F.S.に、サンリオはU.F.S.とホールマークの両方に試作品を送り、品質やデザインを精査されなければならなかったそうです。OKが出るまで1か月以上かかったとか。
これはグッズのみならず月刊SNOOPYでも同様で、毎回完成見本をU.F.S.に送って都度許可を得ていたというんですからすごいです。確かに月刊SNOOPYの投書欄には毎月『チャールズ.M.シュルツの許可を得て作画掲載』とクレジットが入っていました。みんな自由にイラストを投稿していたのではなく、実は許可をしてもらっていたんですな。
しかし考えてみますと、逆に今ってベルの設定とかご当地スヌーピーみたいなのとかってちょっとユル過ぎませんかね。少なくとも70年代にあったような著作物を尊重する姿勢は感じられませんな。まあそれはそれとして、斯様にしてスヌーピーは、ほぼノー宣伝状態でありながら、月刊誌などの媒体との相乗効果もあって、息の長い静かなブームが続いたというわけです。
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上記の『相乗効果』というのはワタシの意見ではなくこの本の著者が書いた言葉です。この言葉を信じるのならば、ほれみぃ、やっぱりコミックはグッズの引き立て役じゃないじゃん、ということになりますね。
シュルツさんもかつて言っていました。「最初からライセンスするつもりでキャラクターを創れるのか、わたしにはちょっとわからない。キャラクターはまずその存在を認められ、性格と容姿を確立しないと、価値を高められないのではないか」と。キティの後継キャラであるキキララとかマイメロなどもちゃんとバックホーンを作られストーリーが存在しますが、この辺はサンリオもU.F.S.のやり方とかを参考にしたんではないでしょうかね…これは推測ですが。
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