ピーナッツのコミックとの再会:その7
私的50周年回顧ネタ。
1995年から講談社が参入して編集本や心理分析本を出版したことにより、ピーナッツは漫画の枠を超えて変な解釈をされるようになりました。
アマゾンのレビューなどで「ピーナッツは心理学に使われるほど深い漫画なんだ」などというのが書かれているのを見て複雑な気持ちになったものです。そういう扱われ方をして嬉しいタイプのファンもいたんでしょうが…
それでも本家角川書店の「A Peanuts Book featuring Snoopy(以下「featuring Snoopy」)」はコツコツと新作のストリップを掲載した新刊を刊行し続けていました。
この頃目立ってきたのはリランです。野外活動が活発になり、やがて幼稚園に通いだして隣の女の子とのやり取りが定番化していきます。キャンプでは2年連続で新キャラが出てきたりしましたが、彼らは名前(コーマック、イーサン)があるのに隣の女の子は名前が付けられませんでした。名前の有無は重要で、コーマックとイーサンは登場人物としてカウントされますが隣の女の子は違います。どちらが重要なキャラなのかは一目瞭然ですがね。
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1998年、「featuring Snoopy」 に異変が起こりました。
1998年12月、「featuring Snoopy」の20巻が発売になりましたが、この巻には「これからどうするの?」というタイトルが付き、装丁の雰囲気が変わりました。
以降、21巻「ボクは心配してないよ」、22巻「ここで何してるの?」、23巻「どうすりゃいいんだい?」、24巻「今日何したの?」、25巻「 どうして知ってるの?」、26巻「ぼくはどこへも行かないよ」と最後まで変なタイトルが付きました。
これの何が嫌なのかと言いますと、悪しき講談社商法に完全に引っ張られていたからです。
例えば、「スヌーピーのもっと気楽に」は、1巻「なるようになるさ」、2巻「のんびりがいい」、3巻「ひとりのとき」、4巻「自分らしく」、5巻「好きになったら」、「ピーナッツ・エッセンス」は巻数が多いので割愛しますが、「どうなってるの?」、「もっともっと」、「ほっとひと息」、「いいことがある」、「その調子で」、などなど。テイストが完全に一緒です。
特に26巻の「ぼくはどこへも行かないよ」は、シュルツさんは去ってもキャラたちは不滅だ、みたいなメッセージ性が感じられて嫌でした。
これはおそらく「featuring Snoopy」の売り上げが芳しくなく、商業的に成功していた講談社の書籍に雰囲気を寄せたのではないか、と思いました。本家が寄せてくるほどにピーナッツのイメージはそっちへ行ってしまっていたのでした。
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2000年、講談社は更に「スヌーピーたちのやさしい関係」全5巻を文庫で刊行します。
これは「SNOOPYのもっと気楽に」と同様に刊行中の「featuring Snoopy」の抄本になっていました。「SNOOPYのもっと気楽に」 との違いは、今回は90年代を中心にチョイスされているところでしょうか。
しかし、編集はより粗くなった感じがしました。例えば、ルーシーがペパミント・パティのチームにトレードに出されるエピソードがありますが、事の顛末を全く無視してルーシーとペパミント・パティがピッチャーズマウンドで会話をしている話がポンと1本だけ放り込まれていたりします。これは角川版を読んでいない読者は混乱したんじゃないでしょうか(それとも誰がどこのチーム所属とか気にしていない?)。
河合隼雄の解説もどんどん頓珍漢になってきました。ぺパミント・パティのその場凌ぎの言い訳を感受性が細かいと評してしまったり、電話をかけるのはいつもぺパミント・パティでチャーリー・ブラウンからはかけないことに問題があるかのように評してしまったり。
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このあとも産經新聞社が新聞連載を纏めた「とっておきスヌーピー」を刊行したり、祥伝社が編集本を刊行したりと色々ありました。
「とっておきスヌーピー」は話になりませんでした。連載「ひもとくスヌーピーの50年」を読むために産經新聞を購読しましたが、一口コラムが毎回浅い内容ばかりで閉口しました。一度ライナスとリランを間違えたこともありましたね。
祥伝社の本はタイトルが全て『これは癒されたいときに読む本ですよ』と主張していて残念でしたが、あとがきがいつも豪華でそのために買っていたといっても過言ではありません。編集は香山リカ編集の巻だけ面白かったですが、それ以外は年代でくくったベストという感じでした。その捻りの無さが逆に良いと思わせることもありましたが。
2015年には「SNOOPY COMIC SELECTION」という10年単位のベストが文庫本で5巻発売になりましたが、10年で1冊というのは無理があり過ぎで、案の定中途半端な内容でした。これでは続き物は絶対に収録できません。
ワタシはピーナッツとの最初の出会いで所謂ターンアバウトダンスのエピソードに触れて以来、醍醐味は連続物にこそあると思ってきました。これは昨今のワンフレーズを抜き出して有り難がる風潮とは全く相容れないもので、出版社がこの風潮を辞めない限りワタシが面白いと思う編集本は現れないだろうと思います。あくまでワタシが、ですが。
ともかく、ピーナッツは深い、哲学だ、癒される、という売り方ばかりをする日本の出版社には不信感を持ってしまっています。
「ピーナッツ全集」が刊行されたことがワタシには救いになりました。
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