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2024.06.19

ウィリー・メイズ死去

アメリカ・メジャーリーグの元選手、ウィリー・メイズが死去しました。ご冥福をお祈りいたします。

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ウィリー・メイズとピーナッツは縁があります。

長年ピーナッツのTVスペシャルのプロデューサーを務め、「クリスマス・タイム・イズ・ヒア」の作詞をしたことでも知られるリー・メンデルソンは、1963年にウィリー・メイズのドキュメンタリー番組を制作して大成功します。

その時、彼は「最高の野球選手の番組を作ったから、次は最低の野球選手の番組を作ろう」と思い立ち、シュルツさんにアポを取ったのでした。そしてアニメーターのビル・メレンデスを紹介し、以降シュルツさんが亡くなるまでこの3人でアニメを作り続けました。ウィリー・メイズが引き合わせた3人と言えなくもありません。

そして、ウィリー・メイズはコミックにも登場します。

1966年、チャーリー・ブラウンはスペリング・コンテストに挑戦します。

これは、かの有名な1969年の劇場映画「スヌーピーとチャーリー」の原案になったエピソードです。映画では決勝大会まで登り詰めたチャーリー・ブラウンでしたが、原作では学校のクラス予選であっけなく敗退します。その敗因がウィリー・メイズなのです。

チャーリー・ブラウンに出題された問題は「メイズ(MAZE)」でしたが、野球好きの彼の脳裏にウィリー・メイズがよぎってしまい、うっかりウィリー・メイズの綴りである「MAYS」と言ってしまったのでした。

その他、同じ1966年のストリップで、チャーリー・ブラウンが野球選手の背番号でロッカーの暗証番号を覚える、というのもありましたが、ここでもウィリー・メイズが出てきていました。

1966年というのはウィリー・メイズのピークの年で、彼は翌年から下降線を辿っていきます。最も輝いていた時にピーナッツにネタにされていたわけですな。

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リー・メンデルソンは後年、ウィリー・メイズと記念写真を撮っています。

202406192003

一緒に持っているのは、正にチャーリー・ブラウンが綴りをミスった時のストリップです。

チャーリー・ブラウンは最低の野球選手でしたが、彼に名前を綴ってもらえてウィリー・メイズは可笑しかったでしょうね。

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