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2024.06.10

本当に「英語ふきだし」「欄外に日本語訳」でいいのか?

復刊ドットコムの「『スヌーピー全集』なぜ待ち望まれた?」というのを読みました。

『スヌーピー全集』の復刊までの経緯などが書かれていて、興味深く読ませていただきました。

ここでいう『スヌーピー全集』というのは、角川書店から1981年に出版された1971年から1980年までのサンデー版を収録した全10巻のシリーズの事です。

復刊されたのはもちろんリクエストが多かったわけですが、「ピーナッツが好きだから」という新規ファン、「もう一度読みたい」という旧来のファン、の両方があったようです。

復刻に当たっては、オリジナル版の印刷データが現存しないので、原本(底本)をもとに版起こし(スキャニング)をしていたそうです。ワタシは復刊ドットコム版を読んだことが無かったんですが、完全復刻ではなく文章表現に変更を入れたり注釈を付けたりといった調整が入っているんだそうです。知りませんでした。

で、2012年の復刻以来、今でも版を重ねているそうです。凄いですね。

・・・・・・

この文でワタシが気になったのは、「『スヌーピー全集』の大きな特徴は「日本語ふきだし」と「欄外に英語原文」になっている点であり、この「日本語ふきだし」こそが古えのファンがノスタルジーを感じるところ」なのだと書いているところです。

果たして「日本語ふきだし」が単なるノスタルジーに押し込まれてしまっていていいんでしょうか?

漫画文法的手法として「ふきだし」を考えますと、登場人物のセリフは「ふきだし」の中に書かれているのが普通です。それが自然で読みやすくわかりやすいのですが、ことピーナッツにおいてはちょっと事情が違うんですよね。

今の日本で出版されているピーナッツの関連本は、ほぼ100%「英語ふきだし」と「欄外に日本語訳」という形になっています。

これは、「レタリングまで含めてシュルツ氏の完成された作品である」という思想(宗教?)に基づいたものだと思いますが、ワタシは今一つ同意できません。果たして漫画文法的手法としてはどうなんでしょう。

というのも、この「英語ふきだし」「欄外に母国語訳」という形式をとっているのは恐らく日本だけなのです。ヨーロッパ系言語国はみんな母国語ふきだしになっていますし、同じ非ヨーロッパ系言語国である韓国ですら「ピーナッツ全集」はハングルふきだしになってます。中国然り。

日本以外の国は特に「レタリングまで含めてシュルツ氏の完成された作品である」とは考えておらず(所詮新聞漫画)、漫画文法的手法を放棄してまで「英語ふきだし」に拘ろうとは考えていないわけですね。

思った通り、「谷川俊太郎氏による味わいのある訳文がコミックに組み込まれていることで、話の内容がすんなりと入ってくる」という一文もあり、「欄外に日本語訳」になっていることで漫画としてすんなり読めないものになっていることを認めちゃっているんですよね。

「ドラゴンボール」や「ワンピース」のセリフが欄外に書かれていたら、果たして熱中して読めるでしょうか?読みづらく、どこか興ざめしてしまうんではないでしょうか。そういうことですよ。

ピーナッツは、元は新聞漫画で本はペーパーバックですよ。芸術じゃないんですから。

百歩譲って英語が読める人はまだいいです。英語が読めない人は、アルファベットが並んでいるのを見て「美しいレタリングだ」とか感じているんでしょうか。それって既に漫画の読み方として間違っていますし、とても愚かに思えます。

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