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2024年5月

2024.05.30

スヌーピーのハッピーキャンプ 6月14日配信開始決定

Apple TV+ のアニメ「スヌーピーのハッピーキャンプ」の配信開始日が6月14日に決定しました。

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アメリカでは来月初旬から夏休みが始まるので、そろそろ発表になるだろうと思っていました。

全何話になるのかは現時点ではわかりませんが、「宇宙への道」が12話、「ショータイム!」が13話でしたので、そのくらいでしょうな。

楽しみに待ちましょう!

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2024.05.27

ブルータス6月1日号を読んでアメリカのZ世代でピーナッツ人気が高まっていることを知る

ブルータス6月1日号の表紙がピーナッツで、「PEANUTSに関する考察が深い」というFacebookの書き込みを信じて購入しました。

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実際に読んでみますと、考察は深くも何ともなかったんですが、「ピーナッツがZ世代に流行している」という興味深い現象を知ることができましたので収穫はありました(でもbrutus.jpでタダで読めるんですよね)。

特集ではNPRイリノイに「Z世代が突然スヌーピーに夢中になったのは、単にかわいいからではない」という記事が載ったことを取り上げています。

TikTokやインスタグラムでピーナッツが大流行したこと、シュルツ・ミュージアムが過去最高の来場者数を記録したことを挙げ、子供の頃からスヌーピーに親しんできた世代がその哲学的な内容に気づき共感しているのだろうと書いていますが、大元の記事はもっと詳しくて、スヌーピーの公式TikTokアカウントは、2023年の第2四半期から第3四半期にかけてエンゲージメントが223.8%増加(19万8000人の新規フォロワーを獲得)して「アカウント史上最高の成長」となったこと、シュルツ・ミュージアムのリサーチ・センターのインスタグラムでのリーチが一時200%以上増加し、18歳から24歳の層でのエンゲージメントが最も高かったことが書かれています。

その他、昨年4月に赤十字が献血者に「落ち着いて献血を」Tシャツ(スヌーピーのものと思われる)をプレゼントするキャンペーンをしたところ、3週間で約40万枚のTシャツを配布し、期間中の新規献血者が7万人以上で大半は35歳以下だったことも書かれています。

因みにシュルツ・ミュージアムが過去最高の来場者数を記録したことについて、Z世代の割合がどうだったかという記載はありませんでした。

大元の記事の後半は「スヌーピーが時代を超えてタイムリーである理由」について書かれていますが、先の「新美の巨人たち」でもこういう視点があればよかったんじゃないでしょうかね。

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ワタシはここで重要なのは「子供の頃からスヌーピーに親しんできた世代が初めてその哲学的な内容に気づき」というところだと思っています。

まず基本的に子供の頃から読んでいて、大人になって再発見するわけですよ。ここが日本との違いで、漫画を読んでこなかった大人がいきなり名言だなんだと言うのとでは深みが全然違います。

話しをブルータスの方に戻しますが、この特集でも見出しからして「Z世代からオバマまで。老若男女を魅了する、ワンフレーズの金字塔『ピーナッツ』」なんですよね。何ですか、ワンフレーズの金字塔って。こういう読み方から脱却しないと、真のピーナッツには迫れないんではないかな~と思います。

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追記)

「漫画を読んでこなかった大人が」と書きましたが、これはそういう人たちに対する批判ではなく、子供時代にピーナッツを読める環境が無かったことが問題だと思っています。読めなかったんですから仕方が無いですが、それでもそういう人たちに対して、いつまで経ってもこういう切り口でしかピーナッツを紹介できないメディア側には問題が大いにあると言っていいでしょうね。

この辺はいずれ私的50周年回顧ネタにも出てくると思いますが。

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あと、このシュルツさんの絵。晩年のものですが良くないですね。

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2024.05.26

新美の巨人たちのスヌーピー特集を観る

5月25日放送の「新美の巨人たち」でスヌーピーの特集をやっていました。タイトルがスヌーピーだったので、シュルツさんやピーナッツよりもスヌーピーにフォーカスするのかと思いきや、そんなことも無く。

しかし、シュルツさん愛用のペンについての説明もあったりして、中々有意義な番組だったかと思います。

関根麻里さんが出てましたが、彼女はホットペッパーのピーナッツの連載で翻訳をしてました。しかしラビィの奥さんはピーナッツが好きだったのか。ちょっと意外でした。

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で、シュルツさん愛用のペン。

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これですよね。ペン先がスチール製で硬くかなり筆圧をかけることがことができるそうです。

筆圧?と思う人もいるかもしれませんが、初期のシュルツさんは結構筆圧が高かったんですよ。ワタシは2001年1月に今は無き小田急美術館で開催されたチャールズ・シュルツ原画展に行って連載初期の原画の迫力に圧倒されましたが、とにかくすごいのは描線なんですよ。太いところでは2mmくらいありました。硬いと言われるペン先を使ってそれだけ太い線を描くんですから、相当筆圧が高かったということですよね。

で、ペイジ・ブラドックがこのペンを使ってスヌーピーを描いたんですが…

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これはひどい。素人じゃないんですから。「このペンを使いこなすのに10年かかった」と言っていましたが、まだまだですね。

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いきなりこんなコマを抜き出されても意味不明ですよね。ワタシにもわからない。

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一応テーマはスヌーピーの人気の秘密のようで、番組中何度も「世界中で愛される秘密とは?」と投げかけられますが、明確な答えはありませんでしたね。

ペイジ・ブラドックが「60年代まではアクションものなど緻密な描写の漫画が多かったが、シュルツはまるで違っていた」「子供が大人のように考えるのが革命的だったのでは」というようなことを語っていますが、それだけ?という感じも。まあ、後者はワタシがこの漫画に惹かれたのも多分にここだと思うんで納得はしてますけど。

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関根麻里さんのお気に入りはこれだそうで。いいチョイスだと思います。

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あと、元コサキン・リスナーとして、ライルの写真が懐かしかったです。

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2024.05.23

ピーナッツのコミックとの再会:その1

私的50周年回顧ネタ。

1979年、ピーナッツは書店からその姿を消しました。しかし、再会の機会は1980年に訪れました。

人はこの1年を短いと言うでしょうか?

今思い返しますと1年というのはほんの僅か(特に歳を取ると)なんですが、当時は体感的には3年くらいの長い空白に思えました。

ピーナッツの新作が読めないなんて、こんなことはあり得ない!

この失われた1年の間にピーナッツを読むという習慣が無くなり、ピーナッツから離れていった友人が数多いました。「おまえ、まだ読んでるの?」などと言われこともありました。

高校生ともなりますと色々な事があるわけで、ピーナッツばかりにかまけてはいられません。ワタシも多かれ少なかれそうでした。だからそれも解るんですが、それでも寂しいものでした。

アニメにしても東京12チャンネルの「まんがスヌーピー」が1978年3月に終了したのを最後に放送が途絶え、昔ながらのホリデーシーズンの楽しみも無くなっていました。

まさに空白の期間でした。

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ともかく1980年。

そんな状況の中、角川書店がピーナツブックスをスヌーピーブックスと改称して復刻し、更に新刊も刊行し続けるという発表を聞いた時は本当に吉報だと思いました。

夥しい数の宣材が書店に投下され、角川書店の本気度が伝わる思いがしました。

角川スヌーピーブックスの新刊の特徴は、何といっても日付順に掲載しているというところでした。残念ながらサンデー版は未収録となりましたが、後継シリーズの「A Peanuts Book featuring Snoopy」を含めると1978年から2000年までのコミックがすべて日付順で読むことができました。これは本当に角川書店の功績で、こういう刊行の仕方は本場アメリカでも無かったのではないでしょうか。

角川書店が撒いた宣材にはスヌーピーブックスの他に「スヌーピー全集」「季刊スヌーピーマガジン」というのも載っていました。

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「スヌーピー全集」は70年代のサンデー版を纏めた本として10巻刊行されました。スヌーピーブックスがサンデー版未収録だったので、80年代以降分もこちらでフォローされるのかと思いましたがそうはなりませんでした。何故か1993年に「スヌーピーののんきな日曜日」というタイトルで1981・1982年のサンデー版を収録した本が刊行されましたがこれも突発的なもので、80年代以降のサンデー版が纏めて刊行されたのはシュルツさんの死後でした。

「季刊スヌーピーマガジン」は刊行されていれば月刊スヌーピーの再来になったのかもしれませんが、こちらは何故か告知だけにとどまりました。なんとも残念です。

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書店では、当初こそ新刊のみならず既刊分も大量に在庫していましたが、やがて姿を消し中々見つけられないようになっていきました。角川書店のやる気とは裏腹でとても残念でした。

不振の要因は色々考えられます。まず、ピーナツブックスを既に持っている人はスヌーピーブックスの既刊を買いません。そして、新規取り込みについても既刊60巻は重すぎたのではないでしょうか。また、全巻の表紙が70年代以降の可愛いスヌーピーの絵柄に差し替えられていましたが、順番に読もうと1巻に手を出した人は違和感を持ったのではないでしょうか。所謂表紙詐欺ですね。

そのような状況でしたが、ワタシは独自の購入ルートを確立していました。それは、渋谷の三省堂書店で購入するというものでした。

三省堂書店は、スヌーピーブックスの在庫を持っていたわけではありませんでしたが、新刊は必ず入荷しており、しかもそれをかならず会計カウンターの横に平積みしていたのでした(どこに品出ししていいのか判断が付かなかったのかもしれません)。

ワタシは新刊の発売日を把握していたわけではありませんでしたが、そろそろ頃合いかな?と思った時に三省堂書店に行くと、必ずカウンター横に置いてあったのでした。

このような雑(?)な購入方法だったのにもかかわらず、最終の86巻まで1巻も欠かさずに購入することができました。ひとえに三省堂書店様のおかげです。

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残念ながら角川スヌーピーブックスも1987年に全86巻を以って刊行終了となりました。7年間で26巻の新刊を刊行したので頑張った方だと思います。

この7年間に、ユードラ、クライベイビー・ブービー、ジョー・リッチキッド、マーブルス、リディア、メイナードが初登場しました。ビーグルスカウトにハリエットが加わり、マーシーがチャーリー・ブラウンのことをチャールズと呼ぶようになり感情に変化が起こりました。

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角川スヌーピーブックスは、3年後に「A Peanuts Book featuring Snoopy」として復活しますが、実は1979年の空白の1年間が結構根深いものだったと思い知ることになります。

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2024.05.22

ピーナッツのコミックとの出会いと別れ

私的50周年回顧ネタ。

ピーナツブックスを読み始めた時は、既刊38巻でした。

ワタシはとにかくピーナッツにどハマリしていたので沢山のコミックを読みたいと思っていましたが、何分小学生であり、38巻すべてを読むというのは無理だろう…漠然とそんなことを思っていました。更に(現役の漫画ですから当然ですが)新刊も続々刊行されていくわけですからこれは益々難しくなるだろうと思ったものでした。

ところが中学生になり小遣いを貰うようになりますと、次々と既刊を購入するようになり、気が付くといつの間にか全巻が揃っていて新刊の発売を待つという風に状況が変化していました。まあ、時には古本屋の力も借りましたが。

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ピーナツブックスの初期は、アメリカで刊行されていたペーパーバックを原書として編纂されていましたが、40巻代後半くらいから日本独自の編纂に変わっていきました。月刊スヌーピーに掲載されたものが数か月後にピーナツブックスとして発売されるという感じで、かつては年代がバラバラに編まれていたものが、ほぼほぼ年代順に並ぶようになったことで読みやすくもなりました。

中学生時代は友人A君から月刊スヌーピーを借りて読み、ピーナツブックスが刊行されたら自分で買う、というサイクルになっていました。先に一度月刊スヌーピーで読んでいるわけですから新鮮味は薄れますが、やはり単行本は手中にしておきたいものです。

しかし、ここには落とし穴もありました。月刊スヌーピーに掲載されたものがすべてピーナツブックスに収録されるわけではないのです。

例えば、トリュフ(当時の翻訳では「しょうろ」)とライナスの別れや、シュローダーのピアノが凧食いの木に食べられるエピソードや、スヌーピーがニードルスに行った時の帰り道と砂漠にライナスの毛布を落としてきたエピソードなどが未収録になりました。

これは多分編集のミスだったと思いますが、これによって「ピーナツブックス刊行=月刊スヌーピー不要」が成り立たなくなり、自分で月刊スヌーピーを購入することになるきっかけにもなりました。

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1979年。

ワタシは高校生になっていましたが、相変わらずのピーナッツ好き。時にはギターなんぞを弾いていました。

初夏のある日、神保町からお茶の水への移動中、小川町あたりの古本屋の店頭にピーナツブックスの60巻「遠くへ行きたいチャーリー・ブラウン」が置いてあるのが目に留まりました。

そういえばまだ買ってなかったっけ。安く買えるぜラッキー!…その時はそんな程度に思っていました。

まさか、これでながの別れになろうとは…。

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気が付くと、書店の店頭からピーナツブックスが無くなっていました。

発売日に書店に行っても月刊スヌーピーが置かれることはありませんでした。

何が起こっているんだ?

ともかく書店からピーナッツが消えたのです。

どうやら鶴書房が倒産したらしい…どこからかそんな話を聞きました。

別れは突然やってきました。否、気付いた時はもう無くなった後でした。

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2024.05.21

ピーナッツのコミックとの出会い:その4

私的50周年回顧ネタ。

37巻→26巻→30巻→19巻…と読み進めていたワタシが次に手に取ったのは、当時の最新刊である40巻「スヌーピーのげきつい王」でした。

最初にワタシがK君から37巻を借りた時、巻末の既刊リストは38巻まででしたが、当然現役の漫画ですから新刊が出るわけです。月刊スヌーピーに39巻と40巻が新刊として発売されるという広告が載り、次に読むのはこれだ!と思ったのでした。

しかしこの40巻は、それまでギャグ漫画として接してきたピーナッツの印象を変えるものだったのです。

前半こそ撃墜王ネタの総決算的内容で大いに楽しめるものでしたが、後半に収録されたチャーリー・ブラウン主役の続き物エピソードには衝撃を受けました。

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チャーリー・ブラウンは科学の自由研究で赤毛の子とペアを組む事になりますが、彼は彼女に話しかけることすらできません。何もできないまま、何故か彼は交通係に任命されてしまいます。チャーリー・ブラウンは自由研究の事でモヤモヤしつつも交通係を一所懸命頑張りますが、ある日ライナスから赤毛の子が別の人とペアを組む事にした事を告げられます。

赤毛の子だって自由研究をやらなければならないわけですし、何もアクションを起こさないチャーリー・ブラウンに嫌気が差したんでしょうな。しかし、これでチャーリー・ブラウンはパートナーを失ったわけで、自由研究ができなくなってしまいました。

赤毛の女の子とペアを組むチャンスを失ってしまったこと、自由研究ができなくなり落第点を付けられること、それによって交通係の仕事も剥奪されること、チャーリー・ブラウンは一気に三重の苦しみを背負うことになりました。果たして彼の運命は?

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これが、ワタシが初めて読んだチャーリー・ブラウンの苦悩エピソードでした。

数ある苦悩のエピソードの中において、今作は決して特筆するべき物ではないのかもしれません。が、初めてということもあり、ワタシはとても衝撃を受けたのでした。

雨の中、交通係の仕事を奪われることに涙を流しながら交通整理をしているチャーリー・ブラウンの姿には感情移入したものです。

そして、それまで割とスヌーピーを中心にして面白がっていた読み方が改まるきっかけにもなったのでした。

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一方で、やはりアメリカへの憧憬が頭を擡げてきます。

自由研究の内容とか誰が誰のパートナーだとかが掲示板に貼り出されるのです。でもってシャーミーが「掲示板を見たかい?」とか話しかけるわけです。何かカッコよくないですか?これがアメリカの小学校なんでしょうか?

ちょうどその頃兄のクラスに帰国子女がいまして、アメリカでは生徒は掃除しないなんて話を伝え聞いたりしまして、なんで自分らは教員用のトイレまで掃除させられているんだろう、この抑圧された日本の学校生活に比べ、アメリカは何と自由で進んでいるんだろうか、なんてことも思ったりもしました。…これはピーナッツとは関係ありませんでした。

あと、あの斜めになっている机です。自分たちの使っている木製の机とは大違いでなんてカッコイイんだろう。

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やがてワタシは中学生になり、新刊を押さえつつも既刊も徐々に揃えだし、ほぼほぼ在学中に全巻を揃えるほどになっていったのでした。

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2024.05.13

ウソも貫けばホントになる

先日の記事でも書きましたが、スヌーピーミュージアムの館長の言ったウソがホントになったっぽいです。

ちょっと前のレタスクラブの記事ですが…。

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こちとらネタは上がってんだ!

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上記の通り「寄贈方法は持ち込みのみ」だったんですよ。世界中の人がミュージアムのXを読んで南町田まで持ってきたんですかね?

それだけでなく「個数制限はないが1人1回まで」「持参できる大きさと数量で」「ミュージアムで買ったものはダメよ」と規制をかけてました。

これですと、まあ簡単に寄贈できるのは関東圏の人だけでしょう。遠方の人は大変だったでしょうね。大きなものを寄贈しようと思ったら車で来るしかないですが、駐車場から運ぶんですから大変ですよね。しかも寄贈に当たってはあらかじめグーグルフォームで予約が必要という。

こんな条件で「無数のピーナッツ・グッズに埋め尽くされた部屋」ができると思っていたんですから傲慢ですよね。

伝え聞いたところによりますと、中途で「持ち込みでなくても可」という告知が PEANUTS FRIENDS CLUB 内であったようですが、これはサービスではなく結局のところ集まりが悪かったんじゃないですか?と訝しく思ったりしてます。でもまあ会員限定処置ですよね?

とりあえず敷居を下げたことによって全国規模で寄贈が集まったと思うんですが、そのくせ「全国のスヌーピーファンのみなさんから寄せられた(公式サイト)」とか言っちゃってるんですから調子こいてんじゃねーぞコノヤローってな感じです。

挙句に館長自らが「世界中から集まった」とか大ウソをついているんですからね~、全くもって始末が悪いです。

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あと、WEB版美術手帳にクリエイティブ・ディレクターの草刈大介氏の発言として「スヌーピーというキャラクターの歴史において、もっとも親しみがあるのは原作となるマンガよりもぬいぐるみやグッズ、衣類といったプロダクトだったのではないだろうか。」と書かれていて、これはちょっと悲しくなりました。

結局はそれかよ、てな感じで…。確かにそうかもしれませんが、ここはシュルツさんの創作物を鑑賞するところではないんですか。

もうグッズをバンバン売ってじゃんじゃん儲けてくださいな。そのかわり、こんな不実な美術館は美術館の看板を下げてほしい。キュレーターのいない美術館なんて聞いたことないぞ。ワタシはもう絶対に行きません(図録は通販で買いますが)。

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2024.05.08

ピーナッツのコミックとの出会い:その3

私的50周年回顧ネタ。

K君から借りた37巻「選挙戦だよ、スヌーピー」、兄が買った26巻「ビーグル長官スヌーピー」に続き、遂に自分で買う時が来ました。

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まず、1970年代後半の書店におけるピーナッツの扱いですが、はっきり言って大プッシュされていました。大抵どの書店でも置いていたと思います。特にワタシが主に利用することになる最寄り書店は、所謂くるくる回るピーナツブックス専用什器が置いてあったのでした。

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↑捏造画像ですが、パネル部分に使用していた絵はこれで間違いありません。まあともかくこんな感じの什器があり、大量のピーナツブックスが立ち読みし放題だったのです。というわけで、特に面白そうなものを吟味して買うことができました。かくしてワタシが初めて自分で買ったピーナツブックスは、それは…

30巻「そっとおやすみ、スヌーピー」!

何という順当なチョイス。「選挙戦だよ、スヌーピー」、「ビーグル長官スヌーピー」、「そっとおやすみ、スヌーピー」。この3冊の共通項は解る人には解ると思いますが、すべて70年代の作品を収録している本です。

普通でしたら1巻から買うべきでしょうが、正直50年代の絵柄には抵抗感がありました。初めて身銭を切って買うのであれば女の子が着ているTシャツと同じような可愛いものにしたかった…そういう思いがあったのでした。

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「そっとおやすみ、スヌーピー」もまた期待を裏切らない内容でした。

冒頭からヌケサク鳥の名前がウッドストックだということが判明するストリップでしたし、スヌーピーが独立記念日にデイジーヒル子犬園で演説するエピソードは圧巻でした。この演説でスヌーピーは暴動に巻き込まれてしまいますが、その原因はベトナム戦争への抗議でしたし(戦場に駆り出された犬が帰ってこない問題)、スヌーピー自身も演説に犬の公民権ネタを挿入していました。この社会性の盛り込み方には驚きましたね。そもそもスヌーピーが演説することになったきっかけは元ビーグル長官だったからで、こういう連続性もたまりませんでした。

その他、世界的に有名な売り子、世界的に有名なホッケー選手、世界的に有名なテニス選手などスヌーピーの妄想も暴走、航空公団に売る土地を持っているというのは妄想なのか現実なのか訳が分かりませんし、チボーも登場、非常に充実した1冊でした。

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そんな時、友人N君が突然19巻「さびしがりやのチャーリー・ブラウン」を買いました。

ワタシは驚きました。いきなりそんな古い絵柄の本を買う?

しかし、これが読んでみると面白かったのです。確かに50年の絵柄は当時のワタシにはきついものがありましたが、ピーナッツはピーナッツ、面白いことに変わりはなかったのです。

それまでの3冊がスヌーピーの露出が多かったのに比べ、この19巻は人間キャラのネタが多く、ややスヌーピーに固執していたワタシには新鮮に思えました。

ピーナッツというのはスヌーピーばかりじゃないんですよね。今では当たり前に思うことですが…。

この巻には所謂続き物は全然ないのですが、ヴァイオレットの父親自慢、チャーリー・ブラウンのペンシル・パル、雨の中を埃を舞い上げて歩くピッグペン、ハイファイ・ブーム、実は仲が良かったシャーミーとパティ、などが収録されていました。

しかし、N君が気に入っていたのは「死の灰」ネタでした。ライナスが雪が降ってきたのを死の灰が降ってきたと勘違いするネタですが、うーん、N君の感性は凄かった。

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2024.05.06

ピーナッツのコミックとの出会い:その2

私的50周年回顧ネタ。

ピーナツブックス37巻「選挙戦だよ、スヌーピー」でピーナッツの虜になってしまったワタシは、数ヶ月に渡って借りっぱなしになりK君に返しませんでした。

とにかく面白くて仕方が無い。何度読んでも面白い。毎日毎日繰り返し読んでいましたが、ある日、兄が26巻「ビーグル長官スヌーピー」を買ってきました。勿論兄にも薦めていたのですが、兄も自分で購入するほど面白がってくれていたわけです。

この26巻というのが面白さでは37巻を上まわっており、さらに大ハマリするようになります。とにかくギャグのパワーがすごくて、笑いが止まらないので1ページ読むのにも時間がかかり、1冊読み終わるのに1時間以上かかるような状態でした。

この巻ではビーグル長官という謎の存在が出てくるのですが、特に何それ?とも思いませんでした。何の仕事をしているのかもわかりませんが、そこがまた想像を掻き立てられて面白いのでした。考えてみれば37巻も「世界的に有名なゴルフ・プロ」「第一次大戦の撃墜王」といった空想ネタや、ライナスがスヌーピーに切手印刷メーターを借りるという犬小屋の謎ネタもあったんですが、意味が解らないと拒絶することもなく普通に受け入れていました。子供だったので、変に頭でっかちにならず面白ければヨシという感性で読めたのでしょう。

そうこうするうちに月刊スヌーピー(過去記事)の存在も知ることになり、ワタシは本格的に日々ピーナッツ漬けになっていくのでした。

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37巻「選挙戦だよ、スヌーピー」は数ヶ月借りたのちにK君に返却しましたが、彼とのピーナッツに関しての交流はこれっきりとなりました。

彼がそのほかの巻を買うこともなく、彼とピーナッツについて語り合うこともありませんでした。

振り返ると彼は特にピーナッツ好きというわけではなかったようですが、それでは何故ピーナツブックスを持っていたのか?

ともかく、彼がいなければピーナツブックスを読むきっかけが得られなかったわけで、感謝しかありません。

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2024.05.05

昨日の補足

昨日の記事の補足です。

昨日は37巻を引っ張り出してきて当時の気持ちを思い出しながら書きました。それにしても、1冊の漫画本がその後の50年のワタシの人生をある意味変えてしまったわけですな。

何故ワタシがピーナッツに惹かれたのかということは、とりあえず書けたと思います。この辺りを踏まえていただけますと、

「ピーナッツは大人でなければ理解できないという通説」

「続き物の一部を切り取ってアンソロジーを作ることの愚かさ、または、続き物を一切収録しないアンソロジーを作ることの愚かさ」

「セリフだけを取り出して名言と称して紹介することの無意味さ」

…こういったことについてワタシが嫌悪感を抱いている理由がちょっと解っていただけるのではないかな、と思ったりします。日頃毒を吐いたりしている拙ブログですが、不愉快に思われていたらすみません。ただ、これが基本路線ですのでこれからも継続していきます。

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2024.05.04

ピーナッツのコミックとの出会い:その1

私的50周年回顧ネタ。

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ワタシとピーナッツのコミックとの初遭遇は過去に何度もこのブログで書いていますが、1974年に友人から借りたピーナツブックス37巻「選挙戦だよ、スヌーピー」でした。

ワタシの家庭は基本的に漫画は禁止と明言されていたわけではないですが、とりあえず父親は漫画が嫌いであり、小遣いも貰っていなかったので、漫画を買って読むという習慣はありませんでした。70年代はそういう家庭は多かったと思います。漫画を読むのは主に理髪店で、「デビルマン」なんかをまとめ読みしていましたね。

まあ漫画を読む習慣自体がありませんでしたので特に不満は無く、積極的に友人の漫画を借りて貪り読むなんてことも無かったわけです。

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小学校時代、女の子たちはスヌーピーがプリントされたファミリアのTシャツやトレーナーをよく着ていたので、スヌーピーは女子が好むものだと思っていました。当時大人気だった岡崎友紀が大のスヌーピー・マニアで、彼女のおかげでスヌーピーが漫画であることは一応知ってはいましたが、特に興味はなく自分が読むものではないだろうと思っていました。

しかし1974年のある日、友人のK君が学校にピーナツブックスと貝塚ひろしの「柔道賛歌」の2冊を持ってきているのを見て、何故かワタシはそれを借りようと思ったのでした。

K君は男子で一人っ子なので女きょうだいもおらず、何故ピーナツブックスを持っていたのかは謎ですが、それよりもそれを借りようと思ったワタシのほうが謎です。それまで友達から漫画を借りるということをしたことが無く(それほど漫画に興味が無かった)、何故そんなことを思い立ったのかはわかりませんが、興味を持ったとうことだけは間違いありません。

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かくして、2冊の漫画を借りたワタシは家に持ち帰りそれらを読みました。

「柔道賛歌」はアニマル・モーガンが出てくる話を収録しており、こちらはこちらで中々面白かったのですが、それよりもピーナツブックスの方に衝撃を受けました。

あまり漫画に免疫が無かったことも原因かもしれませんが、とにかく今まで読んできた漫画とは全く異質なものに感じられました。

この巻の一番最初に収録されているストリップ(つまりワタシが一番最初に読んだストリップ)は、チャーリー・ブラウンが「ビーグル」の語源についての本を読んでいるというものでした。ビーグルの語源はフランス語の「ベーグル」から採られた、と書いてあるのを読み、スヌーピーに「ホントかい?」と尋ねると、彼は「ウィ!」と答えるのでした。

一番最初に読んだストリップがビーグルについてだったというのにも運命的なものを感じますが、この「ウィ!」というオチ、この粋な感じに初っ端からやられました。

その他、とにかくセリフ回しなどがクールでかっこよく、とても惹かれるものがありました。「彼」「彼女」といった三人称を使うというのも新鮮で、これはすぐに日常会話に取り入れました。

また、四コマ漫画でありながら連続したストーリーになっているのにも驚きました。「サザエさん」「フジ三太郎」といった当時人気の四コマ漫画には無かった手法です。

例えば、この巻にはペパミント・パティとスヌーピーがターンアバウトダンスに行くというエピソードが収録されていますが、スヌーピーのことをからかわれたパティはその少年のことを殴ってしまいます。普通の漫画だったらこの後の顛末がちゃんと描かれますが、この漫画では殴った次のコマではもう帰路についているのです。

暴力沙汰を起こしたことで退場させられたということと、最後のコマのスヌーピーの「シャペロンに嚙みついたのはボクだってことをお忘れなく」というセリフで2つのストリップの間に何が起こったのかを想像するしかないわけですが、それがまたワクワクしていいんですね。行間を読むではないですが、すべてを描かなくても伝わるし逆にその方が想像力が搔き立てられて面白いんだということに気付かされました。続き物の四コマだからこそ可能な表現方法なわけです。

また、このエピソードでは子供たちだけでダンスパーティという大人びたところへ行くわけなんですが、こういうところも戦前派親父に抑圧されていた子供としてとても惹かれました。何か日本にはない自由さを感じました。これは巻を読み進めるうちに思いが強くなりましたが、日本にも子供の祭りはありますが、大抵は主体は大人で子供は見世物にされたりするものばかりです。それに引き換えこの漫画では子供による子供のための祭りやお祝い事が数多描かれており、まるで別世界でした。

昭和40年代、まだまだアメリカは遠かった…本当に憧憬でした。その思いは一層強まりました。

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しかし、何よりも一番大きかったのはギャグマンガとして完成度が高かったことです。

ウッドストックが南へ渡るためにスヌーピーが道案内することになります。その様子を見たペパミント・パティがチャックに電話するのですが、チャックが「ウッドストックは南へ渡りたいが道がわからない。しかし渡らないと生態学を混乱させてしまうのでスヌーピーに道案内させているんだ」と答えると、パティは「あんた、フライが頭に当たりすぎた人みたいなことを言ってるよ」と呆れ顔をします。

こういうのって日本の漫画にはまず無いと思います。鳥は生態学を混乱させたくないから義務で南へ渡っているのか、とか、なんでチャーリー・ブラウンはそこまで知っているんだ、とか、パティのリアクションもまあそうなるよな、とか、とにかく突っ込みどころ満載で四コマでここまで笑わせられるのは凄いと思いました。

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こうして、たった1冊の漫画本でワタシはピーナッツの虜になってしまったのでした。クラスで一番のピーナッツ好きとなり、如何にこの漫画が面白いのかをクラスメイトに吹聴し、友人たちを巻き込んでいったのでした。

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