シュルツさんの命日を過ぎて
シュルツさんの命日も、連載最終回記念日も過ぎてしまいましたね。
ということで(?)今更ですが、連載最終回などについて思うところを書きます。
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1999年11月16日(火)、シュルツさんは仕事中に倒れ病院に運び込まれました。この日、シュルツさんは2000年1月1日(土)用のデイリー版を描いていたようです(ここまでの仕事は無事新聞に掲載されてますが文字入れはまだで、後でペイジ・ブラドックがPCでシュルツ・フォントを使って入力したようです)。
診断は腹部大動脈閉塞でした。一応手術は成功し11月30日に退院しますが、その後再入院を繰り返しています。
シュルツさんは最早創作活動ができないことを悟り12月14日に「引退宣言」し、世界中が激震したのでした(余談ですが、当時は上記のような深刻な状況とは知らず、お疲れ様でした、ゆっくり余生を過ごしてください、などと呑気に思っていました)。
描きためてあったストリップは、デイリー版が上記の通り1月1日まで、サンデー版が2月6日までありましたが、この「引退宣言」でデイリー版の最終回が2000年1月3日(月)、サンデー版が2月13日になることが併せて発表されたのでした。
この後の最終回掲載までの流れ(ペイジ・ブラドックらによるコラージュなどのPCでの編集作業など)は、諸々の書籍に書かれており広く知られていると思います。最終回で使われた絵は、1999年11月21日のサンデー版の使いまわしで、添えられたシュルツさんのコメントは口述されたものなので自筆ではなく活字でした(シュルツ・フォントを使う手もあったと思いますが、画がタイプするスヌーピーだったので良かったのでしょうか)。退院後のシュルツさんは一筆も描いていないのでした。
そして、1月3日にデイリー版最終回が掲載され、2月13日にサンデー版最終回が掲載されましたが、シュルツさんは2月12日に亡くなりました。
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ワタシが注目したいのは、シュルツさんが仕事中に倒れたことで、その時に描かれていたストリップが遺作となったことです。
遺作となったストリップは創作作業の真っただ中にあったものであり、その時のシュルツさんには恐らく引退はおろか死の影すら無かったわけです。つまり、これが最後だとか、筆を折るつもりで描いたストリップは一片も無いということになります。
ですから、ワタシはシュルツさんにはスワン・ソングは存在しないと思っています。最終回もそれに当たらないと思っています。ですので、芸術新潮2013年10月号に載っていた、最終回をして「読むたびに目頭が熱くなる」とか「最後の最後までキャラクターと誠実に向かい合おうとした気概を感じる」とか変な賛辞を送っている人の記事を読んで、なんだかなぁと思ったものです。
同じ芸術新潮2013年10月号で、英語教科書にピーナッツを取り入れる際のエピソードとして、サンデー版を3つ使う事になっていたところシュルツさんが亡くなったので一つを最終回と差し替えた、というのが紹介されていましたが、ジーンさんの「遺作にばかり関心が集まっている」という危惧により、最終回の使用が認められなかった時期があったことが裏話として書かれていました。
この筆者はその「危惧」について、「高潔な姿勢に拍手を送ってあげたい」とか、「ピーナッツギャングという家族を守ろうという矜持にすら感じられた」という感情を綴っていますが、ワタシは別の考えを持ちました。
最終回はシュルツさんの想いは綴られていますが新規に描かれたものではなく、残酷な言い方になりますが後書きのような内容で、漫画として面白いと言えるものではありません。
ジーンさんの中には、作品として不十分で面白くもない最終回よりも、もっと面白いものが他にいっぱいあるではないか、という思いもあったんじゃないでしょうか。ジーンさんの「危惧」はそこにあったんじゃないでしょうかねえ。
最後にシュルツさんの想いを伝えて最終回を迎えたというのも、作者の死により尻切れトンボで終わるコミックがある中、ある意味理想的な最終回だったのかもしれませんが、必要以上に持ち上げるのはどうかな~と思う次第です。。
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