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2023.08.17

「スヌーピーがいたアメリカ」エピローグ~訳者あとがきを読む

いよいよエピローグまできました。

エピローグでは大どんでん返し、7章までに書かれてきたことが全部覆されるような衝撃的な内容になっています…って、まあ、ピーナッツを年代順に読んでいればわかることなんですが、端的に言えば飽きられちゃったんですね。

7章までで書かれてきたことは、せいぜい80年代までのことで、ピーナッツが社会的影響力を持っていたのもその頃までということですな。90年代になると、それまで進歩的・実存主義・中道左派と捉えられていたシュルツさんは、その優柔不断な作風ゆえに保守派・伝統主義・右派と捉えられるようになっていました。

晩年のインタビューの、
イ:あなたはどちらかというと保守ですよね
シ:いや、私はリベラルですよ
イ:じゃあ何でロナルド・レーガンと仲いいんですか?
というやり取りは笑っていいのか何なのか…。

ピーナッツの末期について、この本でははっきりと「きらめきを失った」という表現がされていますが、これはワタシも同感で、正直つまらない漫画になってました。線も汚くなったし。4コマのコマ割りに拘らなくなったことを「既存の枠から解放され自由に羽ばたき云々」と気持ち悪い持ち上げ方をする向きもありましたが、あんなものはただの手抜きですし、それで面白くなったわけでもありません。

昔オフ会で大谷芳照さんと90年代はつまらなかったと意気投合したこともありましたな。YOSHIさんは覚えていないと思いますが…閑話休題。

メットライフが契約を打ち切った理由についても、はっきり「人々が関心を持っていない」からだ、と幹部がニューヨーク・タイムズに語っていたことが書かれています。厳しい。これはシュルツさん没後でよかった。聞いたらショックだったでしょうね。

ただ、この章は一応、ピーナッツ全集の刊行とヒット、映画「アイ・ラブ・スヌーピー」の成功、アニメのApple TV+ での配信開始、などなど回復方向にあることを挙げて終わっているのがちょっと救いですね。

ピーナッツは不滅です。未来永劫そうであることを祈ります。

シュルツさんとピーナッツの人気が継続していることは、フォーブスの死亡者長者番付で20年以上トップ5に入り続けていたことで証明されています。ワタシが思うに、90年代はリアルタイムで読まれていたストリップがつまらないので批判にさらされていましたが、連載終了したことでキャリア全体が俯瞰されるようになり、再評価につながったんではないでしょうか。

また、晩年のシュルツさんは所謂クラシック・ピーナッツの図柄を使ったグッズを禁じていましたが、死後これが解禁されたのも大きかったと思います。それは結局のところ、60~70年代の黄金時代が素晴らしく、90年代がつまらなかったことの証明にもなってしまいますが。シュルツさんもそれが解っていたので禁じていたのかもしれません。老いても現役漫画家の矜持でしょうかね。

・・・・・・

最後に訳者あとがきですが、ここでは本書の邦題について触れられています。

原題を直訳すれば「チャーリー・ブラウンのアメリカ~ピーナッツの大衆政治」となるところですが、『ピーナッツ関連本には「スヌーピー」と冠するという日本の慣例に従い「スヌーピーがいたアメリカ」とした』ということが綴られています。スヌーピーと明記した方が耳目を惹くだろうという計算があったとも…。

これはワタシ的にはあまり歓迎できない現実です。昔タワーレコードで、"A Charlie Brown Christmas" の日本盤CDを探していた時、邦題が「スヌーピーのクリスマス」だったために店員に別物と思われ、危うくたどり着けくなるところだった、という苦い思い出がありまして、とても嫌な傾向です。

誰かがこの悪しき慣習を打ち破ってくれることを祈ります。が、そんな日は来るのかな~。

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