「スヌーピーがいたアメリカ」第4章を読む
第4章は人種問題です。
シュルツさんが黒人少年のフランクリンを登場させたのは、ある読者からの熱心な働きかけだったというのは有名ですが、本書ではそこのところを深掘りしています。
当時コミックに黒人を登場させようかどうかを悩んでいたのはシュルツさんだけではなくもっと沢山いたんですね。結果的にシュルツさんが先陣を切ったわけですが。
しかしワタシは誤解していました。フランクリンの登場は実は大成功ではなかったのです。
フランクリンの初登場は大成功でしたが、その後何週間も出番がなかったこと。90年代こそチャーリー・ブラウンの話し相手として出番が増えましたが、70年代を通じてどんどんフェイドアウトしていき、結局メインキャラにはなれなかったこと。フランクリン以外の黒人少年が登場しなかったこと(厳密にはマイロ、谷川訳ではミロ、がいますが)。
結局シュルツさんは後ろ向きだったんです。シュルツさんに熱心に働きかけた「ある読者」とその仲間の夢は果たされなかったんですね。
この章はちょっと暗い感じで終わります。
それはそれとして、一方ではペパミント・パティがホッケーの練習をしているフランクリンに対して「ナショナル・ホッケー・リーグには黒人選手は何人いるの?」と問いかけるという人種問題をストレートに描いたストリップもあります。
ワタシはこれを月刊SNOOPYで読みましたが、結構驚きましたね。
ペパミント・パティは人種差別主義者だったのか?シュルツさんも所詮は白人か?
そのように解釈した人は何人もいて、月刊SNOOPYの投書欄にも「シュルツさんが人種差別的な漫画を描くなんて」なんてのが載ったりしてました。
しかし当時ナショナル・ホッケー・リーグには黒人選手が1人しかいなかったそうで、実はこれはシュルツさん流の社会批判だったんですね。そんな事情を知らない日本人には真意がわかるわけもなく…。
この現象はアメリカでもあって、後年若い読者がこのストリップを読み、当時の我々のような反応をしたりしてシュルツさんをイラつかせたようです。
あと、ピーナッツにおける最初の人種問題ネタはフランクリンではなく、実はホセ・ピーターソンだったという。
なるほど。ホセ・ピーターソンは北欧と南米の混血児で、確かにマイノリティーでした。
本書では、全然喋らないホセ・ピーターソンについて「英語が喋れないのかも」という推論を立てていますが、そういう解釈もできますね。
・・・・・・
因みに、70年代までの日本におけるフランクリンの扱いについてですが、初登場の海岸でのチャーリー・ブラウンとの出会いと、2度目の登場のチャーリー・ブラウン宅をフランクリンが訪ねるエピソードは、2つともピーナツブックスには未収録でした。
日本の読者はかろうじてピーナツブックス26巻巻末の登場人物紹介と月刊SNOOPYに載った2度目の登場エピソードで彼のことを知ったのでした。
なぜ鶴書房がフランクリン登場エピソードを掲載しなかったのか。それは謎のままです。
・・・・・・
ついでにもう一つ。
海外のブログで「私の嫌いなピーナッツ・キャラ」というようなものがありまして、読んでみるとフランクリンが5位中に入っていました。公然と黒人批判か、勇気あるなあ…まあ、書いている人の人種は分かりませんが。
彼は何故フランクリンが嫌いなのか。読んでみると、フランクリンは普通過ぎるんだそうです。
フランクリンの登場は公民権運動の時代ですから、所謂ステレオタイプの黒人像にするわけにはいかなかったでしょうが、成績優秀で習い事などもしている彼はどこか優等生っぽくもあり、そう思う人もいるんでしょうなあ。
| 固定リンク
コメント