「スヌーピーがいたアメリカ」第5章を読む
第5章はベトナム戦争です。アメリカを語る上でこれは避けられませんな。
撃墜王スヌーピーは1965年のベトナムへの派兵とほぼ同時に登場しています。撃墜王の舞台は第一次大戦ですからベトナム戦争とは直接的な関係はないように思えますが、これもまたキリスト教を扱う時に見せていたシュルツさんの賢いやり方で、敢えて第一次大戦を舞台にすることでストレートな表現になることを避けていたわけですね。
本書では、ベトナム戦争の戦況と撃墜王の変遷を時系列で解説していて、状況が非常にわかりやすくなっています。
最初は割とお気楽な感じで登場した撃墜王ですが、ベトナムが泥沼化するにつれてどんどん病んでいきます。
どの戦争なのか曖昧なまま、撃墜王は捕虜になったり、母の日のカードを買ったり、いくつかの変遷ののち1969年、「この愚かな戦争に呪いあれ!」と叫びます。どの戦争?もうベトナム戦争のメタファーであることを明らかにしちゃいましたね。同年6月には撃墜王は任務を放棄し逃走、それ以来ベトナム戦争が終わるまでレッドバロンを追うことはなくなりました。もはや戦争は笑える対象ではなくなっていたのですね。
撃墜王エピソードはピーナッツ全集で年代順に読むことはできますが、戦況の変化を感じながらでないと中々理解できないのだな、ということを思い知りました。ワタシは結構流して読んでました。
一方、スヌーピー以外の人間たちもベトナム戦争に翻弄されています。顕著なのがサマーキャンプ・ネタです。サマーキャンプに送られるチャーリー・ブラウンは「徴兵された気分だ」とつぶやいています。「サマーキャンプは徴兵の訓練なんだ」なんてセリフもありました。
あるストリップでは「いつか僕が徴兵されたとき…」なんてセリフが出てきたりしますが、終わりの見えないベトナム戦争の泥沼化は子供にも影響を与えていて、本書ではある親がスポック博士あてに「自分の9歳の子供が18歳になった時にも戦争が続いていて徴兵されるのではないかと怯えている」という手紙を出したという話も紹介されています。どれだけの閉塞感よ!
また、フランクリンの場合、彼の口から父親がベトナムににいることが語られます。文中の「チャーリー・ブラウンの父親よりもフランクリンの父親の方が死に近い」という表現にはドキリとしましたね。
スヌーピーはデイジーヒル子犬園でのスピーチで暴動に巻き込まれます。暴動の原因はベトナムに送られて帰ってこない犬についての抗議でした(このエピソードはワタシが3冊目に読んだピーナツブックス30巻に収録されていました。ベトナム戦争という具体的な表現があって印象深かったエピソードでもあります)。
シュルツさんはベトナム戦争には批判的でしたが、正しい正しくないはともかくとして従軍している兵士たちにはエールを送っていました。スヌーピーはベトナムではヒーローだったといいます。
今でもオークションでスヌーピーのイラストが描かれたジッポーとかが出ていたりしますが、あれはその名残でしょうかね。
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あと個人的に面白かったのは、モート・ウォーカーが何度か登場してきたことです。モート・ウォーカーはコミック「ビートル・ベイリー」の作者で、初期のシュルツさんを漫画家協会に加入させるべく奔走した人物でもあります。
「ビートル・ベイリー」は戦争をしない軍隊漫画で、ワタシの知る限りベトナム戦争を彷彿させるような漫画は全く描いていませんでした。そんなスタンスの人だったからでしょうか、シュルツさんが一連の撃墜王ネタを描くことをものすごく心配しているでいるんですよね。
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