さて、昨日の続きです。
1972年で燃え尽きたのか以降はとてもあっさりしています。
1973年2月号
特集はカラーで1ページのみ。もうこれだけで前年との差は歴然ですね。
「アメリカやイギリスの若い乙女たちは、この日はハート型のカードや、ケーキを焼いて恋人に贈り、愛を告白する日としています。近ごろでは、ケーキよりも手ごろで甘い、チョコレートが一般化してるみたい。」という文から、逆にまだチョコレートが一般的でないという感じがします。"女→男" は確定でしょうか。
紹介されているチョコレートはソニプラや高野やデパートで取り扱っている輸入物のみでした。
1974年2月号
SHOPPING PARKというモノクロ記事のうちの1ページで特集されています。
「2月14日は女の子にとって重大な日。なぜって一年に一回だけ男の子に愛を告白してもいいあの日だから」――2年連続でこれですから"女→男" は確定でしょう。が、紹介されている9点の商品のうちチョコレートは3点で、まだ抗っている感じですね。
チョコレート3点は全てソニプラの輸入物でした。
1975年2月号
カラーで3ページとやや復調。「この日にカードやチョコレートを贈るのもいいけれど、ことしはちょっぴり趣向を変えて、ハートを大切にしたかわいい小物をプレゼントしてみましょう!!」…やっぱりチョコレートには抗っていますね。
小物はこの頃見直されつつあった(らしい)木製のおもちゃなど。結局チョコレートも沢山紹介されてはいますがやはり全部輸入物。その他は、こんぺい糖、ミニチュアのバーボンなどでした。
あと、モノクロの相性判断のようなページでバレンタインのあらましなどが説明されてまして、そこで60名様に森永チョコをプレゼントというのがひっそりと掲載されていました。
1976年2月号
モノクロ1ページで「バレンタインといえば、プレゼントは女から男へっていうのが相場だけど、あんまりかたく考えないのが当世流。」と、コーヒーセット、アクセサリーなどを紹介しています。チョコレートの紹介は無しでした。76年にして既に全てを見直そうという感じですね。
因みにこの頃というのは、森永がライセンス契約をして、スヌーピーのチョコとかがようやく市場に出回るようになった頃です。スヌーピーの専門誌なのに全くタイアップ企画が無いというのはとても奇異な感じがします。
あと、3月にはテレビで「チャーリー・ブラウンのバレンタイン」が初放送されました。
1977年2月号
何とバレンタイン特集記事なし。
1978年2月号
森永チョコレートの100名様読者プレゼントがモノクロで1ページあるのみでした。
1979年2/3月合併号
バレンタイン特集記事なしでした。
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恐らく菓子業界サイドとしては70年代前半には既にキャンペーンを張っていたと想像されますが、記事で紹介されるチョコレートは一貫して輸入物ばかりでした。まあ確かに、私の子供の頃の印象としても、日本のチョコは駄菓子の域を出ていなくて、かっこいいチョコは輸入物という感じではありましたが。
また、なまじアメリカ文化に詳しかったせいか、そういう和風の商業主義に反発していたんでしょうかね。ウィキにあったように70年代中盤以降に日本式バレンタインが普及したとするならば、それと反比例するように記事が減っていった後期というのは、抗えなくなって全く取り扱わなくなったというようにも視得ます。うーん、月刊スヌーピーって結構硬派だったのかもしれません。
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ところで、明日はシュルツさんの命日です。
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