アメリカ版「アニメと原作は違う」
このところ、ピーナッツのブログでありながらちょこっとズレたことを書いてますね。ペイジ・ブラドック氏は一応関係者ではありますが。ズレたついでに海外コミックのアニメ化について(多分に主観的です)。
「アニメと原作は違う」というのは、かつてのテレビアニメで当たり前のように行われていた原作の改変について、原作者とアニメ制作側双方から言われていた言葉です。その結果として面白くなろうが逆であろうが視聴者はそれを受け入れるしかなかったんですが、やはりつまらなかった時はモヤってしまいますよね。最近はSNSの発達もあり勝手なことをするとファンも原作者も声を上げやすくなりました。アニメはだいぶ良くなったと思いますが、ドラマの方は相変わらずですね。
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ワタシはピーナッツのTVスペシャルは70年代までのものはかなり好きです。それはシュルツさんがシナリオに関わっていたというのが大きいかもしれませんが、原作とは違ったオリジナル・ストーリーでありながらも同じ世界観だというお約束がしっかりしていたので、どんなストーリーが展開されるのだろうとワクワクしながら観ることができました。
しかし同じシュルツ=メンデルソン=メレンデス体制で作っているにもかかわらず、80年代以降のコレジャナイ感は何なんでしょうな。もう一人の主要人物ヴィンス・ガラルディの不在が影響しているんでしょうか?
まあともかくも、ガーフィールドのアニメ版なんぞを観ますと、ピーナッツの原作との乖離(80年代以降)は全然マシな方とか思えてきてしまいます。ガーフィールドとかは凄いですよね。最初から原作を無視してますよね。あれ程の原作と似ても似つかないアニメ化というのも中々無いんじゃないでしょうか。
幼稚園の時に大好きだった「ビートル・ベイリー」も、大人になってから観返すと結構原作と違うんですよね。原作のスノーケル軍曹は童貞で女性や恋愛というものに幻想を抱いていたりするんですが、アニメですと普通に女性をエスコートしていたりしてますしね。
幼稚園の頃というと、かの「クレイジー・キャット」のアニメも好んでよく観ていました。あれはどうやらチェコスロヴァキア(当時)制作だったようですが、確かに独特の色遣いとかアメリカにはない美意識は感じられました。クレイジー・キャットは原作では性別を超越した存在なのですが、アニメ版はかなり女性っぽい品が強調されていてワタシは当然のように女性だと思っていました。
「ブロンディ」のアニメも観たことがありますが、あれは多分日本のスタジオが作ってますね。作風がそんな感じでした。演出が悪い意味で日本のアニメっぽくて「ブロンディ」にはそぐわないような気がしました。スラップスティックも過度でいただけませんでしたな。
「ブロンディ」はモノクロのTVドラマも観たことがあります。ダグウッド役が二枚目俳優で違和感がありましたが、理想的な家庭を描くにはあのくらいがちょうど良かったのかもしれません。アメリカ国内での評価はともかく、私は嫌いじゃないですね。
アルゼンチンのコミック「マファルダ」は「おませなマハルダ」のタイトルでNHKで放送していたようですが、これは観たことが無いのでわかりません。松島トモ子がサリー・ブラウンに次いで吹き替えていたそうですのでとても興味はあります。逆にキャシー・ガイズワイトの「キャシー」はアニメは知っていても原作を知らないので何とも言えません。
「ポパイ」のアニメも好きでしたが、あれが原作と比べるとどうかというのは、ちょっとわかりません。というのも、私が読んだ「ポパイ」のコミックはツルコミではなく講談社のもので、どうもあれは所謂『本物』ではないっぽいんですよね。実際、シュルツさんが影響を受けるほどのコミックには思えませんでしたし。ただ、アニメは面白いですよね。ロビン・ウィリアムス主演の映画版はアニメ版の映画化と言ってもいいんじゃないでしょうか。面白いかどうかではなくてインパクトを覚えたのは「ニシン泥棒」の回です。ニシンの缶詰倉庫を舞台にした話で、「アメリカ人もニシンを食べるんだ」と子供心に思ったものです。
ここまで所謂アメコミのアニメについては書いてませんが、あれらは割愛します。我々日本人は変な翻訳版を観せられていましたし(悪役が名古屋弁だったり)。ああいうのは60年代までだと思ってましたが、のちに「三宅裕司のバットマン」というとんでもないのが登場しましたね。
そういえばトーベ・ヤンソンが虫プロ版「ムーミン」の試写を観て「刺激的だ」と文句を言ったというのがツルコミの後書きに載ったことがありましたね。兎角アニメ化というのは難しいもんなんでしょうかね…。
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